1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。その旅先からの手紙 その3

1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。その旅先からの手紙 その3

★1963年月から、ゴードンの神学生寮の2人部屋で生活を共にしたリッチ・ワイゼンバッハ家族とハワイのに日系を中心にしたカリユニオン教会で再会。
 この10年後、私たちは沖縄へ、リッチ家族は、ニューイングランドへ戻り、歴史的にも由緒のある、リベラルとして知られた教会を牧会。

☆10月7日 1977年、ハワイにて
「頌主
 昨日は午前中と午後、影山先生の事務所で本を読んだり、ゆっくり休んだり落ち着いた時間を過ごしました。影山先生は、ロスで開かれる在米日系人への宣教百年祭に出席のため留守なのです。
 昼食は、教会員の知念さん(沖縄出身)一族が経営している中華料理店へ行きました、リッチ夫婦と一緒に。彼らが刺身を好物にしているので驚きました。安くしてくれたのでしょうか5ドルに満ちない料金は、君代の忠告に従い
私が支払いました。リッチ曰く、旅の初めだから余裕があると思っているのだろうと。経済面でも几帳面なリッチは、何かと大雑把な私のことを案じてくれるのです、あの頃と同じく。
 夕方は、子供たちと共に海岸に。あのワイキキが見える海岸で、日中は観光客で大変な所だそうです。5時過ぎで夕食時間に当たるので、海岸には人があまりいませんでした。
 大きな市の公園に面している海水浴場で、公園でランニングをしている人の姿が目立ち印象気でした。初めは、海にに入らないつもりでしたが、子供たちと遊んでいるうちに、とにかく海に入らなくては収拾がつかず、30分でしょうか、数年振りで海に入りました。
 リッチたちは、それぞれ自分の仕事をしたり、本を読んだり。夕食は、サンドウィッチ。ハワイの人々は、コンロで焼き肉をtベルノg、典型的な海岸での夕食なのだそうです。

 夕食後家に帰って、少し休んだ後7時半から10時過ぎまで、男性合唱の練習に、リッチと一緒に行きました。リッチの話ですと、教会外のこの世との接触との事です。床屋のおっちゃん合唱と呼ばれる、日本の民謡に通じる合唱団で、全米に広がる組織を持ち、ホノルル分会でも約50名が毎週練習を続け、いろいろの機会に合唱を披露するとのことです。年配の方々の姿が目立ちました。

 さて今日は正午に、アメリカ本土ヘ向け出発します。途中、例の「ムウムウ」の生地を買っていく予定です。楽しみにしていてください。ロスアンジェルスでは、フラー神学校のバーカー先生にでんわをしてみる予定です。
 この数日楽しい時でした。これからの旅の準備にもなりました。
リッチの話ですと、最低10年は、カリヒユニオン教会での牧会を続ける覚悟でハワイに来たとのことですから、次回は、二人で一緒に来ましょう。
忍望、太郎元気にしていますか。いのっています。
  在主 武夫」
☆バーカー先生、ゴードンで指導を受けた新約学の主任教授。その後フラー神学校の学監。バーカー先生が説教を担当された教会で、リッチは副牧師的役割、私は、中学生担当。