宗教改革500周年 エキュメニカルな視点からの評価と課題                       名古屋キリスト教協議会議長 松 浦  剛 その4

宗教改革500周年 エキュメニカルな視点からの評価と課題                       名古屋キリスト教協議会議長 松 浦  剛 その4

Ⅶ.カトリック教会司祭様への呼び掛け

 本日、カトリック教会神父会月集にお招きいただいたからといって、なれなれしい態度で発言することは自戒しなければなりません。あくまでも、つつましく申し上げたいのですが、1年に1回くらいはプロテスタント教会の牧師3〜4人、カトリック教会の司祭様3〜4人とが食事を共にして、ゆるやかな交流をしてはいかがかと願います。わたしなどはメソジスト系の教会の牧師ですからお酒もタバコも一切たしなみません。至って付き合いの悪い人間です。しかし、食事でも一緒にするならば意外と面白いことをしゃべるかもしれません。
 わたしが申し上げたことが、どうにかこうにか実現したときには、つまずきが生じないばかりか、むしろよい証しとなってキリスト者の平和を世の中の人々に伝えていくことになりはせぬかと思います。わたしのこのような提案を松浦悟郎司教がお忘れにならなければ、1年後くらいにお声を掛けてくださいませんか。宗教改革500年の年に、名古屋キリスト教協議会の議長が突飛なことを発言し、それが実ったというようなことになれば、「カトリック新聞」「キリスト新聞」の小さなニュースになるかもしれません。

Ⅷ.祈りが聞かれた話

 名古屋朝祷会という超教派の信徒グループが、1960年2月から毎週月曜日朝に祈り会を開いています。あと2カ月で、名古屋朝祷会3000回の集まりがあります。そのとき記念文集を発行されるとのことです。原稿執筆を依頼されたので、文章を書いて提出いたしました。その原稿の一部なのですが、以下に引用させていただきます。題名は「祈りの聞かれた話」です。
 「朝祷会では牧師か信徒が奨励し、出席者全員が祈りを献げます。長く朝祷会の恵みにあずかってきますと、確かに祈りはきかれたな、という結果を見ることがあります。2017年7月17日(月)には、日本基督教団金城教会員児玉剛則兄が、イザヤ書6:8から奨励をし、教会長老を辞するかどうかを迷っていた時、『教皇フランシスコのことば365』の日課の中に、イザヤ6:8「わたしを遣わしてください。」の聖句があって、決断が与えられたことを伝えられました。また、ご自分の次男さんが『信仰告白するように祈ってほしい。』と訴えられたため、一同がそのことを覚え祈ったのでした。パンと紅茶で朝食の交わりをしたとき、記録ノートを出してみると、2015年6月1日(月)に、児玉剛則兄が名古屋朝祷会で、列王記下20:1〜11から奨励をしています。『妻の妹がガンとの診断を受けてから1年になり、今生死をさ迷っているから祈ってほしい』と訴えられ、一同で祈りました。
 わたしは、『あの時の奥様の妹さんはどうなったのか』と聞きましたら『祈りが聞かれて、今も生きている』と報告されました。しかも、その妹さんはカトリック信徒だと聞いたのでした。朝祷会に出席したプロテスタント10名の祈りによってカトリック信徒1名の命が助かったのはすばらしいあかしと感謝いたしました。ハレルヤ!」  ご清聴ありがとうございました。