9月27日Gordon Divinity School卒業50年記念集会へ備えてー留学中両親から受け取った手紙の再読 その4 ☆9月27日を中心に、Gordon Divinity School卒業50年記念集会が、ニューイングランドの母校で開催されます。  私は残念ながら参加を断念しました。その日に備える一つの方法として、留学中両親から受け取った手紙を再読。

9月27日Gordon Divinity School卒業50年記念集会へ備えてー留学中両親から受け取った手紙の再読 その4

☆9月27日を中心に、Gordon Divinity School卒業50年記念集会が、ニューイングランドの母校で開催されます。
 私は残念ながら参加を断念しました。その日に備える一つの方法として、留学中両親から受け取った手紙を再読。

1966年冬、母からの手紙
「いよいよ今年も残り少なくなりました。そちらも随分寒い様ですね。
こちらも昨日寒波の為大分寒い日が続きましたが、又いくらかゆるんで今日等随分暖かい日でした。
 お父さんも其の後、体に注意して居りますので、大分具合がよい様です。毎日元気に(ガソリン)スタンドへ行って居ります。
 恵美子、三郎も学校が休みになり毎日家に居ります。美喜子も随分可愛くなりました。此の頃大分長くすわってゐられる様になりました。はいはいはまだ出来ませんが、ごろごろころげて目的の所へ行くのを覚え、さかんにころげて居ります。力も随分出て来ましたので、こちらも大いに頑張らないとお守りも出来ません。そのせいか今年は元気です。
 
 そちらもテストテストで大変の様ですね。アルバイトと両方で体を無理しない様にして下さい。写真届きました。二人共随分立派になったので驚きました。只君代さんがやせたのではないかと心配して居ります。
 進学の方よい学校へ行かれれば、帰省後随分違う事と思います(注)。慶応大学(通信教育の哲学科の成績表を修士コース受験校に送付依頼のため)へは昨日お父さんが行ってくれましたから、学校の方で送ってくれる事と思います。私としては二人で一緒なのですから、何処に居ても安心なのですが、勉強と働くのとをうまくやって下さい。体を悪くしては何にもなりませんから。・・・
 セーターも届きました様で安心しました。がさばる物を持って行って頂き、ウイットモア―さん(マグノリア教会での知り合い、貿易商で仕事のため日本に行き、両親と面談)にはお気の毒でした。それに手紙もいただいたのですが、返事が書けませんでした故、そちらからよろしく申し上げて下さい。
 先日の四〇ドル又慶応へのお金も入手しました。ガウンももう届いた事と思いますが、気に入って頂けたらよいのですが。此の手紙が届く頃はクリスマスも過ぎますが、カードも間に合って使って頂けた事と思います。余り色々な絵に分けてしまって反って困ったのではないでせうか。
 送って頂いたお金は此の前のを取りかえて使ったりしましたから、今度の分は貯金して置く様お父さんもお父さんも申しますのでその積りで居ります。
 
 今日(十二月二二日)寄居のジーンズ先生から手紙が来まして、三十日に東京へ出るから其の時家に寄りたい様な文面でした。其の時又色々話が出る事と思いますから、お知らせします。
 それから先日岩手の(君代の)お父さんと弟さんが上京されました。お父さんも今外へお勤めに出て居られるとかで、大変元気に見受けられました。弟さんが国鉄の方へ受験された為です。岩手の方が受かれば家から通えるのだそうですから、其の方が好都合でせうが。
 今日あたりはクリスマスの用意でお忙しい事と思います。どうぞ元気に楽しいクリスマスや新年を迎えて下さい。
 おそくなりましたが、てる子さん達(次弟夫妻)が正月の楽しみにとお餅等を送ってくれました。中にオーバーとスカート、セーターを入れてもらいました。薬は目方がオーバーする様なので後にしました。では今日は之で」。
★注
1963年秋、ゴードンの最初の授業の一つで出会ったR.マイケル先生は、本格的な新約学の手解きをして下さいました。
 その後も授業や個人的指導交流を通し全人格的交わりを重ね、ゴードン卒業後上級学校で学ぶことを強く勧めてくださいました。ゴードンを卒業後埼玉の寄居に帰るのを教会で待っていてくださりますし、私たちもそのつもりでした。ですから少なくとも数年はかかる博士課程へ進むことは論外でした。ただ普通2年かかる修士課程を1年で終了できれば神学の可能性があるとわかり、その道を進む決断をしたのです。
 ところがマイケル先生勧めてくださったシカゴなど三つの大学神学部も、私個人として一番行きたかったニューヨークのユニオン神学校のいずれも、ことごとく書類考査で落ちてしまったのです。
 ところが、マイケル先生、バーカー先生、レイン先生、ゴードンの新約学華の三羽烏が学位を取得したハーバートから合格の通知が届いたのです。他に行くところがなくて、ハーバートに行ったのです。
 この、「他に行くとろがなくて」とは、沖縄へ移住した時も経験しました。青梅での牧会の場を後ろの橋を断ち切り、神学校教育に専念する準備が整ったと思ったとたんに、思わぬ経過でその道が閉ざされ、、「他に行くところがなくて」、沖縄へ移住したのです。
 クリスチャントゥデイの働きの場合も、そうです。
25年振りに関東に戻り神学校教育にと願っても道は開かれず、一面では、「他に行くところがなくて」クリスチャントゥデイの働きに参与したのです。
 結果的には、「他に行くところがなくて」、追い込まれるようにして導かれた道が、まさに主のお導きの道と教えられました。「一度にすべてでなく」。