竹の子神学の実例 その1

竹の子神学の実例 その1

竹の子神学?
そうです。恩師ペテロ・ネメシェギ先生から学んだ多くのことの1つです。
ネメシェギ先生が、故国ハンガリー動乱のさなかローマに派遣され、かの地で研鑽を重ね、その後自ら望んで日本宣教に身を投じ、神学教育を中心に宣教活動を始めた頃の思い出の記述は、私にとって実に味わい深いものです。
竹の子の成長力に驚くさまが生き生きと記されています。しかし、何よりも印象的なのは、ばらばらに見える竹の子が、根において固く結ばれている事実。そこから、私たちの身辺に起こる事々についても、一見相互に関係のないばらばらな事象であっても、深い根のつながりがあり、根はキリストご自身であると、ネメシェギ先生は美しく表現なさいます。私といえば、これを竹の子神学と呼ぶのがせいぜいのところです。
高校の先輩・戸田帯刀神父と、長年遠くから尊敬してきた改革派の吉岡繁先生が、驚いたことに根の結びつきがあると知らされました。まさに、竹の子神学です。
戸田帯刀神父について、鋭い徹底した取材に基づき、佐々木宏人氏が「福音と社会」誌に連載ノンフィクション「封印された殉教」を3年以上にわたって掲載されています。毎月心を熱くして読み続ける中で、興味深い資料『昭和キリスト教受難回想記』(西村徳次郎著・吉岡繁編)の紹介に接し、驚きました。
ところが、2カ月ごとに拙宅で開かれているフィリア会祈祷会に参加されている吉岡繁先生の長男嫁にその話を伝えたところ、実物を吉岡先生からのプレゼントとして届けてくださったのです。まさに、私にとって竹の子神学の実例です。
吉岡繁先生がお書きになっている「はじめに 本書刊行の経緯について」を以下に紹介します。

西村徳次郎著・吉岡繁編『昭和キリスト教受難回想記』
はじめに 本書刊行の経緯について 吉岡繁

西村徳次郎著『昭和キリスト教受難回想記』に私が初めて接したのは今から三〇年余りも前のことになります。それは、本文(四〇〇字詰原稿用紙)二五〇枚、附録「日本キリスト教受難年表」二五枚に端正な楷書で書かれた手書き原稿が私家製本されたもので、赤い硬い表紙のズシリと重い書物でした。当時すでに故人となられていた著者と生前お付き合いがあった実父松尾造酒蔵から一読を勧められました。
 著者の西村氏は、昭和一四(一九三九)年に成立した宗教団体法施行のため、同年から五年間文部省宗教局キリスト教担任官(カトリック担当)の職にあった方です。職務上交渉があったキリスト教関係の人々の熱心誠実な信仰と人柄に深い感銘を受け、キリストに導かれるまでこの職にありました。[洗礼は昭和一九(一九四四)年四月八日、本書十五「魂の救い」参照]この書は彼が職務上経験したことをカトリックプロテスタントのみならず広く戦時下のキリスト教界全般にわたって、懺悔の思いをこめて真摯に書き綴った貴重な文献です。西村氏は友人の勧めもあり刊行の意思をもって原稿を作成したと書かれています。昭和二四(一九四九)年四月四日の『読売新聞』朝刊二面、『長崎日日新聞』(同年三月二九日版)、月刊『キリスト教事業新聞』(同年四月一日号)に関連の記事が出ています。実業之日本社は本書の刊行に前向きであったようですが、内部資料が流布されるのを嫌った文部省が上梓に反対して日の目を見なかったと思われます。(西村氏「あとがき」より)
 西村氏は、戦時下において政府のキリスト教政策の実行の直接の担当者の一人でしたから、この書は当時の政府の方針・姿勢の実態を知るための第一級の資料であることは勿論ですが、それと共にここに生き生きと描かれている、世界相手の戦争という未曽有の大試練の下のキリスト教会と信徒の信仰と生活の試練は、平和と自由を享受している今日の信徒に反省と励ましを与えずにはおかない証しであると確信します。
 西村氏がどういう経緯で本書の出版を父松尾に委託されるようになったかは聞いておりません。父は戦前戦後を通じて鎌倉雪の下教会の牧師でしたので、宗教局の役人であった西村氏とは面識があったと考えられます。西村氏と同じキリスト教宗教官(プロテスタント担当)であった相原一郎介氏とは鎌倉の同じ町内に住み、しかもキリスト者同士であったので、父が時折お訪ねしていたのを私は覚えています。そして同じく鎌倉在住でキリスト者となられた西村氏とも自然とお交わりが深められたと思います。実業之日本社での本書の発行が難しくなったとき、いろいろと相談されたようです。結局西村氏は本書の英文翻訳をも含めて、この原稿の扱いの一切を父に委ねて亡くなられたと、私は父から聞きました。そして私は父からこの原稿を託された次第です。
 これまでも何度か私もこの本の出版のため努力しましたが実現しませんでした。今や私自身八五歳になり身辺の整理を急がなくてはならない状況に迫られてきました。そして周りを見ましても戦争中の教会のことを経験として知っている人は少なくなりました。プロテスタント日本伝道一五〇年にあたる記念のこの年、信仰と伝道の自由という恵まれた環境の中で、まことに残念なことでありますが、多くの教会が伝道の不振と閉塞感を感じています。この暗雲を吹き払う天からの霊の風は直近の歴史の未だ語られることがなかった真実を知ることによって吹いてきます。この書が読む人の心に霊の風を起こす一助ともなることを神に祈っています。私は、この書を通して、殉教を覚悟せざるを得ないような非常な環境の中で苦難の道を歩んだ先人たちの信仰の姿を示されました。そして自分の安易な信仰を深く反省させられました。一人でも多くの方に読んで頂きたいと願って、私ども夫婦が多少の背伸びをすれば出来る範囲での企画で出版することにしました。これが西村氏の祈りにかなうことであると信じています。西村氏がこの書の上梓を志し、執筆をはじめられてから丁度六十年になります。私共の怠慢を反省するとともに、不思議な神様のお導きを感じます。
 しかし、これとても老々二人の手に負えるものではなく多くの方々に助けて頂きました。日本キリスト改革派東京恩寵教会の三野孝一牧師には企画と作業全般について指導・助言を頂きました。原稿のパソコン入力は三野由起子姉、三野豊兄が奉仕して下さいました。西村氏の原稿は戦前の文章で現在使われていない漢字も多く、若いお二人には面倒な作業であったと思います。その他企画・出版に関して金田幸男牧師(甲子園教会)、黒羽豊次長老(東京恩寵教会)、他の方々にも助言、奉仕を頂きました。文中出てくるフランス語の翻訳は義妹の渡辺恵子の奉仕です。皆様に心よりお礼申し上げます。終わりになりましたが聖恵助産所には一方ならぬお世話になりました。創立者である故井原牧生牧師との主にある友情の思い出は尽きることありません。
 そして妻道子、長男有一とは文字どおり一心となって苦労も感動も共にしましたが、すべては神の恵み深い導きです。栄光が神にありますように。
 なおこの書には一部だけ日本基督教団に加入した戦時中の日本聖公会の状況についての報告が少いです。聖公会の大半は無教会などと同様に内務省管轄の宗教結社となり、従って西村氏の職務外でありました。

出版にあたり特に次の事項に注意しました。

凡例
1 西村氏の文章・文字は出来る限りそのままとしました。
2 必要に応じ、訂正・説明・補足等を( )して、適当な語を入れました。
3 年号は元号の後に、それに対応する西暦を括弧に入れて記しました。

日本キリスト改革派教会引退教師)