花の70代、結実の80代

花の70代、結実の80代

木の実は実り繁く
(讃美歌 355番)
平田 康夫

★ペンケン祈祷会で、吉枝隆邦兄や私は、二人とも脳梗塞を発症しましたが、花の70代と歩みを続けています。
 しかし私たちの世代が最高齢ではありません。私たちより先輩の祈りの友がおられます。実を結ぶ、結実の80代の方々です。
 そのお一人、平田 康夫先輩は、文書伝道を含め銀座教会を中心に積極的な活動を続けられており、励まされています。許可を頂いて、銀座教会の文書に載せられた、以下の証を紹介します。

☆生命の木の実は実り繁く
(讃美歌 355番)
平田 康夫

 かつて私が働いていた職場に現在も続いている聖書研究会があります。その研究会の友人Sさんが、定年間際に思いたって、埼玉県のあるところで、知的ハンディキャップのある方々のための施設・社会福祉法人「一粒」を立ち上げました。もう一人の友人のHさんがその施設の組織や財務をサポートすることになりました。この施設では、カルポスという名の福祉作業所に当たる仕事をしています。少しでも入所者、利用者たちの収入になるようにとパンなどを作り、販売しており、私も食べたことがありますが、とても美味しく感動したことがあります。
 
 Hさんから「平田さん、実は頼みがある。施設の名のカルポスは、ギリシャ語で果実、木の実をいうのだが、ここでは葡萄の実、房を意味していて、その名にふさわしい讃美歌が355番だ。その355番のCDを探したが見つからない。探してほしい」といわれました。教文館で探しましたが見つかりません。そこでオルガニストの中村俟子さんに頼みましたが、やはり見つかりません。

 しかし中村さんは、このことを音楽主任の草間美也子先生に話してくれました。草間先生は、これを聞いて試作品のCDを作ってくれ、私はHさんにそれを渡しました。その後昨年銀座教会創立125年を記念して作られたCDにこの355番を入れてくれました。それをHさんに渡したところ大変喜ばれました。特に入所者の家族会の方々が喜んでくださり、CDを使って共に歌い、主を讃美しているということです。
 
 私は、355番は、ヨハネの黙示録をベースにしたもので、初めは入所者がやがて新しい天、新しい地に生きるようにとの願いと祈りが入っていると思っていましたが、それだけではなく、Hさんが言うには「これは3節の『生命の木の実は実り繁く』というところが入所者たちの姿を表わしていると思う。彼らは生命の木の実カルポス、たわわに実った葡萄の房なのだ。それは主の木につながっている。それが家族会の方々の心にも響いたのではないか」とのことでした。
 
 草間先生によると、あまり歌われないが大変良い讃美歌だ。しかし歌うのが難しく、何度も録音をやり直したとのことでした。
 施設を立ち上げたSさん、そこで働く入所者の方々、その家族の方々、それをサポートするHさん、Hさんの願いを聞き、取り次いだ者の連絡を受け、草間先生に頼んでくださった中村さん、それを快く承諾しCD完成までに指導して下さった草間先生、そして歌ってくださった聖歌隊の方々。考えてみれば全体を知っている者は誰もいません。しかしそれぞれのつながりの中に一つの大きな、大きなみ心があることが示されています。これこそ神の愛です。神がそれぞれの人を用いて、働かせ、成果や報酬を望むのではなく、知らない人のために尽くす喜びを与えてくださいました。生命の木の実カルポスは実り繁っています。まさにアメージンググレイスでありましょう。神の国はこうして主の愛に導かれて創られていくのだと改めて思いました。
 
 後日譚があります。Hさんが、友人Aさんとその娘さんを伴って、昨年のメサイアによる音楽礼拝に出席しました。HさんからCDをプレゼントされたAさんは今求道中。イースターには洗礼を受けたいとのこと。愛の連鎖は限りなく続いています。
(2017年2月26日一粒の麦No.167より)
讃美歌 355番
1節 主を仰ぎ見れば 古きわれは、
   うつし世と共に とく去りゆき、
   我ならぬわれの あらわれきて、
   見ずやあめつちぞ あらたまれる。
3節 うるわし慕わし とこ世のくに、
   うららに恵みの 日かげ照れば、
   生命の木の実は みのりしげく、
   とわに死の影も なやみもなし。