先達の手引きを感謝−ゲルハルダス・ヴォスの場合−再録

先達の手引きを感謝−ゲルハルダス・ヴォスの場合−再録

★1967年秋4年間の留学を終え帰国後、ある時、ある場所で留学の報告をする機会がありました。
 誰の影響を受けたかとの質問を受け、ゲルハルダス・ヴォスの名前を挙げたところ、「今さらヴォスか」との応答を受けたこと、今も覚えています。
 あれから50年、「今さらヴォスか」との応答も出ないような状況の中で、私にとっては極めて大切な先達から学んだことを再確認し、重なる制約の中ですが、それでも読みに読み、書きに書く、生涯の終わりまでとの思いを新たにし、2017年8月後半の日々に備えたいのです。

☆小さな私の生涯にも、その歩みの様々な段階で、手引きをして下さった先達がいます。
その一人が、ゲルハルダス・ヴォスです。
ゲルハルダス・ヴォスは、1862年3月14日、オランダでドイツ系の両親のもとに誕生、1949年8月13日、87歳でグランドラピッツにおいて召された、19世紀の後半から20世紀の前半を生き抜いた聖書神学者です。
  
1881年、父がグランドラピッツデの教会に招聘されたため、アメリカに移住します。同地の改革派教会の神学校とプリンストン神学校で学んだ後、ヨーロッパヘ留学、ベルリン大学やストラスブルグ大学などで7年間神学教育を受けたのです。

ヴォスの生涯を通観すると、二つの決断が注意を引きます。

[1]第一の決断
ヨーロッパヘ留学を終えた時点で、オランダのフリー大学・Free Universityの最初の旧約学教授として創設者A.カイパーより招かれました。しかしここで第一の決断がなされるのです。
名誉ある招聘を断り、母校グランドラピッツデの改革派教会の神学校へ帰るのです(大ではなく小への決断)。
1888年からの5年間多忙な教育、研究、執筆の生活を送ります。

★研究の一例。ゲルハルダス・ヴォス、ジョン・マーレイ著、『神の契約』(聖恵・神学シリーズNo.25)中の「改革派神学における契約の教理」は、この期間1891年校長講演として発表されたもの。

[2]第二の決断
ヴォスは、1893年の後半から1894年の前半にかけて、再び大きな決断をなすのです。
プリンストン神学校に新しく設けられた聖書神学の講座の主任教授としての招聘を、今度は受託するのです(小から大への決断)。
1894年から1932年70歳で引退するまで、約40年間この地位にあって奉仕を続けたのです。

[3]1894年、ヴォスが32歳の時なされた、プリンストン神学校聖書神学担当教授就任講演、“The Idea of Biblical Theology as a Science and as a Theological Discipline " (ed.Richard B.Gaffin Jr. Redemptive History and Biblical Interpretation -The Shorter Writing of Gerhardus Vosの中に、最初の論文として含まれている。)は、ウォスの聖書神学を理解するために、重要な鍵です。  
この重要な論文の背景を知るための手掛かりとして、1894年プリンストン神学校から出版された就任講演に含まれている、アブラハム・ゴスマン牧師によってなされた訓辞(Charge)と、上記のed.Richard B.Gaffin,Jr. Redemptive History and Biblical Interpretation -The Shorter Writing of Geerhardus Vos中、Introduction(Richard B.Gaffin,Jr.)があります。
 この講演で、ウォスは、B.Bウォフィールドなどと同じ聖書観の立場に立ち、その基盤にたって、聖書神学を展開しています。

☆ウォフィールドとの年代的関係を注意したい。
1878年ウェスタン神学校の専任教授として
1879年から9年間、新約文学と釈義の教授として。
1887年、プリンストン神学校組織神学の教授になり、その後33年間その地位で奉仕。
 ヴォスは、グランドラピッツデの改革派教会の神学校では、組織神学を教えていたのに、
移ってきたプリンストンでは新約聖書、聖書神学を主に教えて行く。
 逆に、ウォフィールドは、ウェスタン神学校では9年間、新約文学と釈義の教授であったのに、移ってきたプリンストンでは、33年間組織神学の教授。
 私は、こういう話(どういう話しかって?、考えてみよう)が大好き、面白くてしょうがない。

 ヴォスは、上記の講演で聖書神学の定義を試み、特別啓示の歴史性、有機性、多様性を指摘していく。ここには、後にBiblical Theology・聖書神学で展開されている事柄の全体像の骨格の提示がものの見事になされています。これこそウォスの聖書神学の理解のための鍵と受け止める理由です

[4]ヴォスに見る聖書神学の定義、特徴、本質 
『聖書神学』とは何かを考える際、ヴォスにとって、聖書神学の特徴を示す三つの要素があります。特別啓示を
(1)その歴史性、
(2)その有機性、
(3)その多様性をそれぞれ重視しながら全体的に把握することを努めて行くのです。

(1)特別啓示(聖書)の歴史性 
特別啓示は一度にすべて与えられたものではない。ヘブル人への手紙1章1,2節が明確に示す通りです。このように特別啓示が歴史的進展に従い与えられたのは、啓示を受ける側の人間の理解力の制約に基づくことは確かです。人間は一度にすべてを悟ることが出来ない存在なのです。
 しかしヴォスは特別啓示の歴史性を人間の理解力の制約から見るばかりではなく、何よりも啓示自体の本質から見ている点に大きな特徴があります。
 
①啓示自体の本質から
「啓示は、孤立した神の御業ではない。超自然的な性格を持つ、すべての他の神の行為と関連なく存在しているのではない。現在の宇宙が有機的全体として罪の結果から贖い出され、元来神の意図の中にあった理想的な状態に回復する、新しい創造の偉大な過程の一部を構成している。」と、ヴォスは特別啓示を、創造から再創造に至る雄大な宇宙大の神の御業全体像の中で位置付けている。神の御業の頂点としての「新しい創造は、客観的、宇宙的な意味では、すべてが一度に一つの行為により完成される類いのものではなく、それ自体の有機的進展の法則を持つ歴史なのである。」とヴォスは指し示します。
創造から再創造に至る神の御業全体が元来歴史性を持つのであるから、その全体像の中に位置付けを与えられている特別啓示も必然的に歴史性を持つ。見事です。「特別啓示の歴史的性格、進展的性格を正しく評価し得ないのは、啓示を神の救済行為の総体的な背景から不当に分離してしまう習慣に基づくに過ぎない。」と指摘している通り、ヴォスは特別啓示の全体がその一部である包括的な創造から再創造に至る神の贖いの御業の全体像を視野に入れているのです。

②「神の知識」の伝達の性格ーその著しく実践的側面からー
 特別啓示の歴史性を考える場合、ヴォスは第二の点として、特別啓示の顕著な実践的な側面に基づいて思考します。特別啓示は単なる真理の一方的な伝達ではない。常に具体的な人間の生活に伝達され、実際の場で受信すべきものとして与えられているのです。この点についても聖書の契約構造に注目することにより、大切な示唆が与えられます。
特別啓示は単なる理論的な教えではなく、主なる神・父なる神から、僕であり子である人間に対する最も実際的な知識なのであり、時と場所、つまり歴史性を本質的に存在自体の中に持つ人間が、時と場所の限界の中で受け止め、応答して行くことを目的とするのです。このように特別啓示の目的、つまり、受容者である人間が歴史的な在り方の形で応答して行くことを目的とする故、特別啓示は本質的に歴史性を持つのです。
このように、神と人間との契約関係を中心に見る啓示観と啓蒙主義の「真理理解」の基本的な相異を注目すべきです。

(2)特別啓示の有機性 
特別啓示の歴史性に加え、ヴォスの特徴ある主張に、特別啓示の有機性の強調があります。この点に十分な注意を払う必要があるのです。
特別啓示の歴史性が言わば線的、直線的発展を取り上げているとするなら、特別啓示の有機性の指摘は、立体的な広がりを指すと私たちは見ます。この場合も特別啓示としての聖書自体に有機性を見ると同時に、神の贖罪的な御業の全体像(創造から再創造に至る)の中にも有機性を見、両者の関連に十分な注意を払うのです。
 
①聖書の中に見る有機的経過・発展
 特別啓示として聖書は初めからまたどの段階(epoch)においても真理であす。聖書全体は一貫して真理(一貫性)。しかし特別啓示はその啓示の進展と共により十分な、より明確な啓示となり次第に展開して行く側面を持つ(発展性)。この特別啓示の一貫性と発展性の両者を併せ持つ特別啓示の特徴を明示するものとして、ヴォスは特別啓示の有機的展開と理解します。

ヴォスは、実例として、エデンの園における福音を取り上げ、「エデンの園における福音は芽生えであり、その中にパウロの福音が潜在的に存在している。アブラハムダビデ、イザヤ、エレミヤなどの福音はすべて始源の救済のメッセージの展開であり、各段階は成長の次の段階を指し示し、福音をその完全な実現まで一歩近付けるのである」と明確です。そしてエデンの園の福音において、契約関係の根本的な特徴をすでに認識することができるのです。これはさらにアブラハムに授与される約束において再現、シナイの契約において展開しています。この実例に見るごとくエデンの園の当初から、アブラハム、シナイそれぞれの段階において等しく一貫して真理性を持つ。しかし同時にどの段階においても一貫して真理でありながらも啓示の各段階において、エデンの園からアブラハムへ、アブラハムからシナイへとより十分な、より明確な啓示なされる発展性を併せ持つ、つまり有機的に発展しているのです。
 
②救済の御業全体(万物の完成、創造から再創造に至る全体像)に見る有機
 ヴォスは。歴史性の場合同様有機性についても、特別啓示としての聖書ばかりでなく、救済の御業全体の中にも有機性を見るのです。この点にヴォスの聖書神学の雄大なスケールを確認する必要があります。
聖書の中に見る、あの有機的発展の原理は、より客観的にこの罪のコスモスが神の始源の目的に従い回復されて行く全体像の中で確立されている。創造から再創造へ導く神の方法は、単なる機械的なものではない。現在の世界の有機体(organism)の中に贖われた世界の中心を創造し、この中心の周囲に新しいすべての秩序を打ち建てて行くのです。
それ故、当初から神のすべての贖罪の行為は、創造と新しい有機的原理に外ならないキリストにおいて定められているのです。
この消息を明示する聖句としてピリピ3章21節、
「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」を注目すべき。
 「万物をご自身に従わせる」と言う、この超自然的な変化(リハビリ!)の経過が有機的な原理に基づくのです。聖書の有機性の場合においても、特別啓示は神の救済の御業全体の中に位置付けられているのです。
 
なおこの有機性の理解は、当初の未発展な啓示に対して後代の発展した啓示はより真理であり優れている、さらには多くの場合両者の間には矛盾があると見る、いわゆる進化論に基づく「発展的啓示」の立場と鋭く対立し、これを論破できます。

(3)特別啓示の多様性 
ヴォスは、特別啓示の歴史性や有機性と共に、その多様性にも十分注意を払います。
たとえば特別啓示としての聖書の多様な文学様式に注目するのです。
つまり旧約聖書が律法、預言書、詩書、また新約聖書福音書、書簡、黙示など多様な文学様式で書かれている事実を重視します。さらに啓示の進展に従い多様性も増加する傾向の実例として、モーセ一人がモーセ五書を書いたのに対して福音書が四名の人物によって記されたことを挙げています。
 多様性と言う時、何よりも目立つのは、多様な聖書記者たちの姿です。聖書記者たちの多様な個性が神ご自身の客観的な目的のため十分用いられているのです。
たとえば、パウロの場合、他の聖書記者たちとは違った彼の全性格、賜物、訓練が十分用いられています。神は実に多様、多彩な聖書記者たちをご自身の目的のため用いておられるのです。
 以上見てきたように、ウォスは聖書神学の特徴を示すものとして、
(1)その歴史性、
(2)その有機性、
(3)その多様性を重視しており、これらの三要素を考慮して聖書神学の定義として、「歴史的一貫性また多様性における超自然的な啓示の有機的展開の提示」と的確に提唱しています。
 この集中こそ、驚くべき展開へと道を開くと私は判断し確認して来ました。

参考 
☆ゲルハルダス・ウォス著、上河原立雄訳、『神の国と教会』(聖恵・神学シリーズNo.4)中、「本書の思想的背景と意義」(岡田稔)、「ゲルハルダス・ウォスの紹介」(訳者)
☆ゲルハルダス・ウォス著、ヨハネス・ウォス編、松田一雄訳、『ヘブル書の教え』(聖恵・神学シリーズNo.14)中、「あとがき」(訳者)

☆1977年度 日本基督神学校卒業論文 熊田雄二、「G.Vosの聖書神学の今日的意義ー及び今後の課題ー」

☆ed.Richard B.Gaffin,Jr. Redemptive History and Biblical Interpretation -The Shorter Writing of Geerhardus Vos中、Introduction(Richard B.Gaffin,Jr.)
 小さな私の生涯にも、その歩みの様々な段階で、手引きをして下さった先達がいます。
その一人が、ゲルハルダス・ヴォスです。
ゲルハルダス・ヴォスは、1862年3月14日、オランダでドイツ系の両親のもとに誕生、1949年8月13日、87歳でグランドラピッツにおいて召された、19世紀の後半から20世紀の前半を生き抜いた聖書神学者です。
  
1881年、父がグランドラピッツデの教会に招聘されたため、アメリカに移住します。同地の改革派教会の神学校とプリンストン神学校で学んだ後、ヨーロッパヘ留学、ベルリン大学やストラスブルグ大学などで7年間神学教育を受けたのです。

ヴォスの生涯を通観すると、二つの決断が注意を引きます。

[1]第一の決断
ヨーロッパヘ留学を終えた時点で、オランダのフリー大学・Free Universityの最初の旧約学教授として創設者A.カイパーより招かれました。しかしここで第一の決断がなされるのです。
名誉ある招聘を断り、母校グランドラピッツデの改革派教会の神学校へ帰るのです(大ではなく小への決断)。
1888年からの5年間多忙な教育、研究、執筆の生活を送ります。

★研究の一例。ゲルハルダス・ヴォス、ジョン・マーレイ著、『神の契約』(聖恵・神学シリーズNo.25)中の「改革派神学における契約の教理」は、この期間1891年校長講演として発表されたもの。

[2]第二の決断
ヴォスは、1893年の後半から1894年の前半にかけて、再び大きな決断をなすのです。
プリンストン神学校に新しく設けられた聖書神学の講座の主任教授としての招聘を、今度は受託するのです(小から大への決断)。
1894年から1932年70歳で引退するまで、約40年間この地位にあって奉仕を続けたのです。

[3]1894年、ヴォスが32歳の時なされた、プリンストン神学校聖書神学担当教授就任講演、“The Idea of Biblical Theology as a Science and as a Theological Discipline " (ed.Richard B.Gaffin Jr. Redemptive History and Biblical Interpretation -The Shorter Writing of Gerhardus Vosの中に、最初の論文として含まれている。)は、ウォスの聖書神学を理解するために、重要な鍵です。  
この重要な論文の背景を知るための手掛かりとして、1894年プリンストン神学校から出版された就任講演に含まれている、アブラハム・ゴスマン牧師によってなされた訓辞(Charge)と、上記のed.Richard B.Gaffin,Jr. Redemptive History and Biblical Interpretation -The Shorter Writing of Geerhardus Vos中、Introduction(Richard B.Gaffin,Jr.)があります。
 この講演で、ウォスは、B.Bウォフィールドなどと同じ聖書観の立場に立ち、その基盤にたって、聖書神学を展開しています。

☆ウォフィールドとの年代的関係を注意したい。
1878年ウェスタン神学校の専任教授として
1879年から9年間、新約文学と釈義の教授として。
1887年、プリンストン神学校組織神学の教授になり、その後33年間その地位で奉仕。
 ヴォスは、グランドラピッツデの改革派教会の神学校では、組織神学を教えていたのに、
移ってきたプリンストンでは新約聖書、聖書神学を主に教えて行く。
 逆に、ウォフィールドは、ウェスタン神学校では9年間、新約文学と釈義の教授であったのに、移ってきたプリンストンでは、33年間組織神学の教授。
 私は、こういう話(どういう話しかって?、考えてみよう)が大好き、面白くてしょうがない。

 ヴォスは、上記の講演で聖書神学の定義を試み、特別啓示の歴史性、有機性、多様性を指摘していく。ここには、後にBiblical Theology・聖書神学で展開されている事柄の全体像の骨格の提示がものの見事になされています。これこそウォスの聖書神学の理解のための鍵と受け止める理由です

[4]ヴォスに見る聖書神学の定義、特徴、本質 
『聖書神学』とは何かを考える際、ヴォスにとって、聖書神学の特徴を示す三つの要素があります。特別啓示を
(1)その歴史性、
(2)その有機性、
(3)その多様性をそれぞれ重視しながら全体的に把握することを努めて行くのです。

(1)特別啓示(聖書)の歴史性 
特別啓示は一度にすべて与えられたものではない。ヘブル人への手紙1章1,2節が明確に示す通りです。このように特別啓示が歴史的進展に従い与えられたのは、啓示を受ける側の人間の理解力の制約に基づくことは確かです。人間は一度にすべてを悟ることが出来ない存在なのです。
 しかしヴォスは特別啓示の歴史性を人間の理解力の制約から見るばかりではなく、何よりも啓示自体の本質から見ている点に大きな特徴があります。
 
①啓示自体の本質から
「啓示は、孤立した神の御業ではない。超自然的な性格を持つ、すべての他の神の行為と関連なく存在しているのではない。現在の宇宙が有機的全体として罪の結果から贖い出され、元来神の意図の中にあった理想的な状態に回復する、新しい創造の偉大な過程の一部を構成している。」と、ヴォスは特別啓示を、創造から再創造に至る雄大な宇宙大の神の御業全体像の中で位置付けている。神の御業の頂点としての「新しい創造は、客観的、宇宙的な意味では、すべてが一度に一つの行為により完成される類いのものではなく、それ自体の有機的進展の法則を持つ歴史なのである。」とヴォスは指し示します。
創造から再創造に至る神の御業全体が元来歴史性を持つのであるから、その全体像の中に位置付けを与えられている特別啓示も必然的に歴史性を持つ。見事です。「特別啓示の歴史的性格、進展的性格を正しく評価し得ないのは、啓示を神の救済行為の総体的な背景から不当に分離してしまう習慣に基づくに過ぎない。」と指摘している通り、ヴォスは特別啓示の全体がその一部である包括的な創造から再創造に至る神の贖いの御業の全体像を視野に入れているのです。

②「神の知識」の伝達の性格ーその著しく実践的側面からー
 特別啓示の歴史性を考える場合、ヴォスは第二の点として、特別啓示の顕著な実践的な側面に基づいて思考します。特別啓示は単なる真理の一方的な伝達ではない。常に具体的な人間の生活に伝達され、実際の場で受信すべきものとして与えられているのです。この点についても聖書の契約構造に注目することにより、大切な示唆が与えられます。
特別啓示は単なる理論的な教えではなく、主なる神・父なる神から、僕であり子である人間に対する最も実際的な知識なのであり、時と場所、つまり歴史性を本質的に存在自体の中に持つ人間が、時と場所の限界の中で受け止め、応答して行くことを目的とするのです。このように特別啓示の目的、つまり、受容者である人間が歴史的な在り方の形で応答して行くことを目的とする故、特別啓示は本質的に歴史性を持つのです。
このように、神と人間との契約関係を中心に見る啓示観と啓蒙主義の「真理理解」の基本的な相異を注目すべきです。

(2)特別啓示の有機性 
特別啓示の歴史性に加え、ヴォスの特徴ある主張に、特別啓示の有機性の強調があります。この点に十分な注意を払う必要があるのです。
特別啓示の歴史性が言わば線的、直線的発展を取り上げているとするなら、特別啓示の有機性の指摘は、立体的な広がりを指すと私たちは見ます。この場合も特別啓示としての聖書自体に有機性を見ると同時に、神の贖罪的な御業の全体像(創造から再創造に至る)の中にも有機性を見、両者の関連に十分な注意を払うのです。
 
①聖書の中に見る有機的経過・発展
 特別啓示として聖書は初めからまたどの段階(epoch)においても真理であす。聖書全体は一貫して真理(一貫性)。しかし特別啓示はその啓示の進展と共により十分な、より明確な啓示となり次第に展開して行く側面を持つ(発展性)。この特別啓示の一貫性と発展性の両者を併せ持つ特別啓示の特徴を明示するものとして、ヴォスは特別啓示の有機的展開と理解します。

ヴォスは、実例として、エデンの園における福音を取り上げ、「エデンの園における福音は芽生えであり、その中にパウロの福音が潜在的に存在している。アブラハムダビデ、イザヤ、エレミヤなどの福音はすべて始源の救済のメッセージの展開であり、各段階は成長の次の段階を指し示し、福音をその完全な実現まで一歩近付けるのである」と明確です。そしてエデンの園の福音において、契約関係の根本的な特徴をすでに認識することができるのです。これはさらにアブラハムに授与される約束において再現、シナイの契約において展開しています。この実例に見るごとくエデンの園の当初から、アブラハム、シナイそれぞれの段階において等しく一貫して真理性を持つ。しかし同時にどの段階においても一貫して真理でありながらも啓示の各段階において、エデンの園からアブラハムへ、アブラハムからシナイへとより十分な、より明確な啓示なされる発展性を併せ持つ、つまり有機的に発展しているのです。
 
②救済の御業全体(万物の完成、創造から再創造に至る全体像)に見る有機
 ヴォスは。歴史性の場合同様有機性についても、特別啓示としての聖書ばかりでなく、救済の御業全体の中にも有機性を見るのです。この点にヴォスの聖書神学の雄大なスケールを確認する必要があります。
聖書の中に見る、あの有機的発展の原理は、より客観的にこの罪のコスモスが神の始源の目的に従い回復されて行く全体像の中で確立されている。創造から再創造へ導く神の方法は、単なる機械的なものではない。現在の世界の有機体(organism)の中に贖われた世界の中心を創造し、この中心の周囲に新しいすべての秩序を打ち建てて行くのです。
それ故、当初から神のすべての贖罪の行為は、創造と新しい有機的原理に外ならないキリストにおいて定められているのです。
この消息を明示する聖句としてピリピ3章21節、
「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」を注目すべき。
 「万物をご自身に従わせる」と言う、この超自然的な変化(リハビリ!)の経過が有機的な原理に基づくのです。聖書の有機性の場合においても、特別啓示は神の救済の御業全体の中に位置付けられているのです。
 
なおこの有機性の理解は、当初の未発展な啓示に対して後代の発展した啓示はより真理であり優れている、さらには多くの場合両者の間には矛盾があると見る、いわゆる進化論に基づく「発展的啓示」の立場と鋭く対立し、これを論破できます。

(3)特別啓示の多様性 
ヴォスは、特別啓示の歴史性や有機性と共に、その多様性にも十分注意を払います。
たとえば特別啓示としての聖書の多様な文学様式に注目するのです。
つまり旧約聖書が律法、預言書、詩書、また新約聖書福音書、書簡、黙示など多様な文学様式で書かれている事実を重視します。さらに啓示の進展に従い多様性も増加する傾向の実例として、モーセ一人がモーセ五書を書いたのに対して福音書が四名の人物によって記されたことを挙げています。
 多様性と言う時、何よりも目立つのは、多様な聖書記者たちの姿です。聖書記者たちの多様な個性が神ご自身の客観的な目的のため十分用いられているのです。
たとえば、パウロの場合、他の聖書記者たちとは違った彼の全性格、賜物、訓練が十分用いられています。神は実に多様、多彩な聖書記者たちをご自身の目的のため用いておられるのです。
 以上見てきたように、ウォスは聖書神学の特徴を示すものとして、
(1)その歴史性、
(2)その有機性、
(3)その多様性を重視しており、これらの三要素を考慮して聖書神学の定義として、「歴史的一貫性また多様性における超自然的な啓示の有機的展開の提示」と的確に提唱しています。
 この集中こそ、驚くべき展開へと道を開くと私は判断し確認して来ました。

参考 
☆ゲルハルダス・ウォス著、上河原立雄訳、『神の国と教会』(聖恵・神学シリーズNo.4)中、「本書の思想的背景と意義」(岡田稔)、「ゲルハルダス・ウォスの紹介」(訳者)
☆ゲルハルダス・ウォス著、ヨハネス・ウォス編、松田一雄訳、『ヘブル書の教え』(聖恵・神学シリーズNo.14)中、「あとがき」(訳者)

☆1977年度 日本基督神学校卒業論文 熊田雄二、「G.Vosの聖書神学の今日的意義ー及び今後の課題ー」

☆ed.Richard B.Gaffin,Jr. Redemptive History and Biblical Interpretation -The Shorter Writing of Geerhardus Vos中、Introduction(Richard B.Gaffin,Jr.)