あれから1年、ますます戸田帯刀神父

あれから1年、ますます戸田帯刀神父

☆昨年8月15日、本コラムに、「母校開成の先輩・戸田帯刀神父」を掲載しました。http://d.hatena.ne.jp/kimiyom/20150815/1439607829
 この1年も、毎月、『福音と社会』で、佐々木宏人氏による、連載ノンフィクション「封印された殉教」の綿密な報告が掲載されて来ました。

 私としては、戸田神父が開成では、村山知義、戸坂潤、町村金吾、高浜年尾などと同期である事実に、ますます興味深く時代背景の中で、考え続ける必要を覚えます。
 この学年で生じた、有名な「鉄拳制裁事件」。この学年の村山知義が校友会雑誌にクリスチャンの立場から反戦論を書いたのが発端で生じたと伝えられています。この文章を問題視した町村金吾らが「それでも日本人か」と、殴る蹴るの制裁を加えたのです。この事件を伝える。村山知義自伝を、未だ読めずにいます。内村の非戦論の広がりの実例として見逃すことが出来ません。

 また戸坂潤の存在にも、意を注がざるを得ません。
開成での同級村山知義と同様治安維持法によって特別高等警察に捕らえられ、戸田神父と同じく1945年ですが、戸板先輩の場合は敗戦の直前・8月9日に長野刑務所で獄死、死因は疥癬と伝えられています。
 聖書解釈の基礎問題からも、戸板先輩の書かれたものを読みたいのです。
 あれから1年、ますます戸田帯刀神父ではあります。