舟喜信先生の思い出

舟喜信先生の思い出

★7月31日、後藤敏夫著 『神の秘められた計画』出版記念の集いに出席、後藤敏夫先生や松元保羅先生に、久しぶりで再会。深い慰めと励ましを受け、また挑戦を受けました。
 日本福音教会連合の現状、特に一部の牧師方の現状を見聞きする中で、日本新約教団が合同へ向かったことを否定的に回顧しがちな中で、今回一人の方、そうです、舟喜信先生との思い出を積極的、肯定的に感謝もって思い起こす機会を与えられ、感謝でした。確かに公的な場面で、信先生と意見を異にする事実を公言する場合が何回かあったのは確かですが。

☆青梅キリスト教会の週間印刷物 1970年8月2日『礼拝の生活』第9号の記事、1970「大学生キャンプに出席して」

 「奥多摩バイブルキャンプ場での大学キャンプ(7月20〜25日)は、祝福の中に終りました。各地から集まってきた、約30人の大学生が、講師の舟喜信先生を通してのメッセージを中心として、有意義な、しかも、楽しい一週間を送りました。
 (注信先生の姿、言動が目に浮かびます)
 私の責任は、「聖書と現代」という午前のクラスのひとつを受け持つことでした。このキャンプを通して、私個人としても、大きな励ましと、また同時に、挑戦を受けました。
 励ましは、それぞれの専門・専攻を異にする大学生たちと語り合ったり、またスポーツを通して交わりながら、キリスト者として生かされている事実の豊かさを、改めて実感させられたことです。
 たとえば、「聖書と現代」のクラスには、建築を専攻する者、英文学を専攻し将来教師として生きる希望を持つ者、音楽を学ぶ者、精密工学に打ち込んでいる者、図書館の司書として働こうと願っている者、化学を専攻する者など、実に、様々な分野で、キリスト者として生きようとしている人たちが出席されました。彼らの顔を一人びとり見ているだけでも、深く感激せざるを得ませんでした。一人びとりがそれぞれの分野で、どのように苦しみながら、しかも、キリストによって生かされ、キリストのために生きる者として、個人的な戦いを戦おうと決心しているかを知ることが出来ました。
 そして、一人びとりが個人として戦うことを決心するとき、それは、単に個人的な、孤独な戦いであるばかりでなく、何よりも、キリストの生ける体なる教会の一員としての戦いであり、生きた体の一肢体として、全体のために生きる決心であると本当にはっきりとキャンプに参加した全員が各自の方法で、深い励ましと慰めを与えられたことを確信しています。
 (注講師の舟喜信先生のメッセージの波紋と結実を、今に思います)

 また、挑戦は、一人びとりの大学生が、どのような現実の中で、戦っているのかを、少しでも直接的に知らされたことによるものです。キリストの体なる教会の宣教は、このような現実の中に生きている人々に向かい、宣言され続けるものであるかを、一瞬と言えども忘れてはならないのだと当然な事実を、新しく教えられました。
 生まれて初めて、年寄り扱いをされてショックを受けたりもしました。それでも、今年の大学生キャンプは、忘れることの出来ない、恵の時でした。来年は、青梅から、金村姉、川口姉以外の参加者が起こされるように願っています」。

☆舟喜信先生との最初の出会いは、日本クリスチャンカレッジ1年生の「旧約通論」の授業を通してでした。
 信先生は、ホイートンから帰国され最初の授業の一つ、私は10代の最後の日々、日本語旧約聖書を通読する喜びと責任を教えられました。
 最初に、出席を取られたとき、「犬山登美子さん」、降る時はどうなんだろうとコメントされたことを60年後、改めて思い出します。

 私たちの現実は、神の恵みを無駄にしたり、善きものを悪用する場合さえあります。『平気でうそをつく人たち』との題名の本が書かれるほどです。
 今回の記念会、神の善い業を悪用している私たちへの戒めであると同時に、さらに「神は悪人どもの悪しきわざを善用したもう」と、根源的な励ましを改めて頂く機会でした。
 そして私たちの身近な先達・舟喜信先生を懐かしく思い見ました。