「教会の息子」と呼ばれて ピアノコーラスグループ「Psalm(サーム)」Hamaさん

「教会の息子」と呼ばれて ピアノコーラスグループ「Psalm(サーム)」Hamaさん
「存在の喜び」波紋の広がり
☆吹き喜びに満たされて記事を読み、記者から話しを聞きました。
1970年4月から、どのように閉鎖するかを考えながら、園長としての役割を始めた、もみの木幼児園園長の働き。
 私自身が、認識の誤りを認め悔い改め、「存在の喜び」の恵みの事実を心に刻み、提唱し続けて来ました、一方的な恵みです。
 ある時、東京キリスト学園の敬愛する当時の下川校長から、もみの木の卒園児が幾人か学園で学んでいると聞き、うれしかったです。
 2017年の今、思いを越えた経過で、1969年TCCで出会った鮫島ご夫妻と共に、ちいロバ聖書集会の働きを通して、「存在の喜び」の提唱を継続、感謝。

「教会の息子」と呼ばれて ピアノコーラスグループ「Psalm(サーム)」Hamaさん

男性3人のピアノコーラスグループ「Psalm(サーム)」をご存じだろうか。2005年から活動を始め、昨年、メジャーデビューを果たした。
リーダーのHamaさんは、早稲田大学のアカペラサークル出身。基督聖教団青梅教会の濱野好邦(はまの・よしくに)牧師を父親に持ち、生まれてからずっと教会で育ってきたHamaさんに話を聞いた。
――幼い時はどんな子どもでしたか。
小さい時からやんちゃな男の子でしたね。元気のいい友達と遊ぶのがとにかく楽しかったです。
――ご両親はどんな反応を?
普通は、あまり元気のよすぎる友達って、両親には嫌われるじゃないですか。でも、うちの両親はどんな子も分け隔てなく教会に迎え入れてくれましたね。
僕が小学校5年生くらいの時、こんなことがあったんですよ。みんなで旧約聖書のヨナの話をビデオで見ていて、僕は飽きてしまって、映写機の前に出て、影を作ったりしてふざけていたんです。みんな、ゲラゲラ笑ってくれて。そしたら、みんなが帰った後、おやじに呼び出されてね。「こりゃ、相当怒られるな」と思ったら、「よくやった。みんなが楽しんでくれて、教会が楽しい場所と思ってくれれば、それでいいじゃないか」って言ってくれたんですよ。やっぱり、うちのおやじは普通の人じゃないなと、その時に思いました。
――中高時代も引き続き教会へ?
いいえ。中学に入ってから高校を卒業するまで、ほとんど教会には行きませんでした。親に対する反抗がそのまま、教会に向いてしまった。両親が命がけで守っている教会に反発したくなってしまったのですね。兄と妹2人は教会に行っていたので、僕だけです。両親も相当心配したんじゃないかなと、今になって思います。
――ご両親は何も言わなかったんですか。
そりゃ、言われましたよ。「起きなさい。教会になんで来ないの」ってね。でも、とにかく行きたくなかった。教会にいることも、家が教会であることも嫌で仕方なかったですね。バスケ部に入っていたのですが、一生懸命練習しても、日曜の午前中にある公式戦には出られないんですよ。だから、勝手に部活に行ったり、試合に行ったりしていました。
――そのまま大学生に?
実は高校を出てすぐに屋根を作る仕事をしていたんですよ。肉体労働ですね。でも、「大学に行かないと、夢があってもかなえることが難しいんじゃないか」と思うようになったんです。それで1年仕事をして、1年を受験勉強にあてて、現役から2年遅れて早稲田大学に入学しました。
――早稲田でアカペラサークルに入ったのは?
プロのアーティストを輩出するほど有名な集団ですからね。でも、アカペラにはもともと興味があったんですよ。浪人時代にTake6(テイクシックス)のクリスマスアルバムを聴いて衝撃を受けて、こんなふうに歌えるようになりたいと思ったのがきっかけです。サークルに入ってからは、先輩に教え込まれて、もう必死で練習したという感じでした。

リーダーのHamaさん。実家は基督聖教団青梅教会
――音楽に出会って、生活も変わった?
そうですね。逸(そ)れていた道からやっと本線に戻ってきたというか。この頃から礼拝にも顔を出すようになっていましたね。
――ご両親も喜ばれたでしょう。
特に父が喜んでいましたね。「音楽に出会うまでのお前は、このままヤクザの道に進むんじゃないかと思ってた。どうにかしないといけないと思っていたけど、私には打つ手がなかった。でも、音楽に出会ってから、不思議とこっちに戻ってきた」なんて言ってました。放蕩(ほうとう)息子がやっと帰ってきたといったところでしょうか。
音楽をやって真面目に頑張っている僕を、父がわざわざバイト先まで顔を見に来てくれるなんて、きっと音楽に出会ってなかったら、父親との関係もここまで回復していなかったと思います。神様に守られているんだなと改めて思いました。
――大学卒業後すぐにデビューですか。
いえいえ、卒業しても、音楽活動をしつつ、渋谷でライブハウスの店長をやっていました。そこにアルバイトとして入ってきたのが、今一緒に活動しているNozom君なんですよね。もう1人のKengo君とは、居酒屋でバイトしている時に厨房(ちゅうぼう)で出会ったんですよ。そして2005年、アコースティックユニットを結成しました。結成当時はもう1人いたのですが、今は3人です。
――Psalmの意味は「詩編」ですね。
父が付けてくれました。「詩編23編のように成長するユニットになるように」という祈りを込めてくれたようです。他の2人は信仰はありませんが、「Psalmって、なんかかっこいいじゃん」って、最初から気に入ってくれていました。しかし、業界関係者からは不評でしたね。「読めない」「言いにくい」「意味が分からない」って(笑)。
――曲作りは?
Kengo君は音楽大学を卒業した音楽のスペシャリストなので、曲は彼が作ることが多いですが、作詞はみんなやりますよ。
僕が詞を書くときは、直接聖書を語ることはなくても、自分の生きざまを通してイエス様が他の人にも感じられるようにしたいと思っているんですよね。これは父の教えでもあるんですけど、教会に行かなかった期間も、いつもそのことは思っていました。こんなことをしていて、誰か僕をクリスチャンだって分かるかなって。
――Hamaさんが作る詞はどこからインスピレーションを?
僕は、恋愛の詞にしても、人生を語る詞にしても、まず聖書を読んでから曲作りを始めます。詞を書くことに行き詰まると、また聖書を読んでね。僕の原点ですから。
――Hamaさんの実家が教会だと皆さんはご存じなんですか。
知ってますよ。ライブで話すようになったのはここ数年ですけどね。
Psalmは今年で12年目ですが、最初は「わざわざ言うことでもないかな」と思っていたんですよ。小学校の時に自分がクリスチャンだと言った瞬間、「アーメン、ソーメン、冷やソーメン」ってからかわれたトラウマがあるので嫌だったんですよね(笑)。それに僕以外、信仰はないので、そこに「クリスチャン」ってイメージを付けるのが嫌だったんです。
でも、他のメンバーから「家が教会だって、もっと言ったほうがいいですよ」って言われて。確かに、何も隠すことじゃないし、リーダーの実家が教会だということは僕らの個性の1つだし、僕らのテーマは「赦(ゆる)し」だし、それに何の変わりもないじゃないかと、メンバーの言葉に救われて、これからははっきり言っていこうと決めたんです。僕は「牧師の息子」であること、「教会の子」であることから隠れられませんからね。レコード会社の人も、「Hamaさん、家が教会って、何か面白いじゃないですか。もっとバンバン言っていきましょうよ」なんて言ってくれたりしてね。
――それはありがたいですね。宗教って敬遠されるのかなと思いますが。
日本では「お寺の息子」ってよく言うじゃないですか。僕は「教会の息子」なんですよね。それが今までは言いにくい感じがしていましたが、ここ最近やっと、この「お寺の息子」と「教会の息子」の差がなくなってきたのかなって感じます。
――賛美歌を歌うことは?
僕、ソロのライブもやるんですが、その時は賛美歌を3曲は歌うようにしています。だって、僕のルーツですから。生まれる前から聴いていて、ずっと歌ってきたのが賛美歌ですから。説明するより歌ったほうが早いでしょう。僕のルーツはこれなんですよね。オリジナルの中に賛美もあるんですよ。
――最後にファンに一言。
僕の人生の中で教会から離れていた中高生時代は、何の光も見えていなかったし、何の希望もなくて、中途半端に生きていたように思います。歌と出会って、僕は「教会の子」で、何よりクリスチャンだということを認識したら、道がきちんとそこに用意されていることが分かりました。それに気付いて幸運だったと思います。
今、何も光が見えずに悩んでいる人もいるかもしれません。もがいていいと思います。悩んでもいいと思います。でも、その先に道が用意されていることを信じてほしい。その道に気付いた時に、その道の上を誠実にまっすぐに走れるか、胸を張って進めるかなのだと思います。
多くの人にぜひPsalmの歌を聴いていただいて、その道に気付くヒントみたいなものが見つかれば、うれしいですね。