過去は変わる、深まる 今回もジャズコンサートヘ、その2
過去は変わる、深まる 今回もジャズコンサートヘ、その2
同期の石森安英君は、ハーモニースクエア管理の経営者として、ジャズコンサートのための理想的なハーモニーホールを備え運営。春秋、プロジュース杉原淳による、春秋のコンサートを20年継続してきたのです。
2011年に、25年振りに沖縄から関東に戻るまで、そんなことをまるで知りませんでした。
ただ彼は、ある同窓会での再会以来、沖縄の私たちの様子を同窓の友人たちに伝達する役割を果たしてくれていました。
今回の会食の席で、石森君が、私の記憶にないことを話し出しました。「自分がまだ悪ガキの側面が残っていた頃、宮村に相談したところ、それでいいんだと受け止めてくれた。それを恩に受け止めている」と。
過去は固定し動かないものではない。新しい意味を知ると共に、その深さ広さを明らかにし続ける。
沖縄時代、続けていた伊江島中高キャンプの関係で、開成時代の意味を集中的に考察し、開成が新しい意味を持つようになりました。以下報告します。
開成と伊江島主僕キャンプ 再録
宮村武夫
1.沖縄に移って
1986年4月1日、東京の青梅キリスト教会から首里福音教会へ家族と共に移り、今日まで沖縄で生活を続けています。
1957年(昭和32年)開成卒、しかも同じ二組だった柳生雅英君は、私より何年も先に来沖。糸満で歯科医として活躍する柳生君に、本当に久し振りに再会してから、すでに十数年が経過したことになります。同級生と沖縄で21世紀を迎えるなどとは、まさに夢のような話です。
昨年11月、私たち二人が沖縄にいることもあって、1957年卒同期会の「卒業45周年記念沖縄旅行」が14日から二泊三日で実現しました。その最終日には、学友一同が私の首里福音教会を訪問してくれました。その時、私は、在学当時の曾禰武校長が優れた科学者であるばかりでなく、戦前からの熱心なキリスト者である事実を伝え、曾禰先生が戦前に書かれたものの中から、「聖書と文学」と「二大科学者の信仰と生活――ファラデーとマクスウェル」の二本の論文を紹介しました。
また1963年卒で、キリスト新聞社で活躍していた、榎本昌弘君の労作、『開成とキリスト教』(榎本事務所、1996年)を一行に手渡すことができたのも、幸いな思い出です。
2.伊江島主僕キャンプ
沖縄での働きの中で、大切なものの一つと理解し、私なりに力を注いできたのは、中・高生を対象とする「伊江島主僕キャンプ」です。
本部半島北西、東シナ海に浮かぶ伊江島。1993年春休みの期間に、第一回春の中・高生キャンプをテントで行ないました。しかし、小雨だったこともあり、いくら沖縄でも3月にテントではということで、翌年からは春は民宿を借り、夏は村営のキャンプ場にテントをいくつも張って、恵まれた自然環境の中で聖書を学び、スポーツを楽しんできたのです。
その後、春のキャンプは民宿からリゾートホテルYYYへと場所を移しました。春のキャンプの特徴は、社会の現場でキリスト信仰を身をもって証ししている様々な職業の方々を講師に迎えていることです。たとえば、畳職人の教会役員が『キリスト者職人としての喜びと祝福』との題で話をしてくれました。またオリブ山病院の院長は『院で働く人々――こんな仕事も病院で――』、さらにある弁護士は『神の律法、日本の法律――面白いよ司法の仕事――』などと、それぞれの主題で中・高生にわかるように、しかし程度を下げることなく真剣に語ってくれました。
数年前には、私の開成中学1年の時の同級生・大竹堅固君が、日本経済新聞記者・編集者としての経験から、聖書を一冊の本と見る視点から、興味深い話をしてくれました。
夏のキャンプはテントで継続してきましたが、昨年は集中豪雨に遭い、大変な経験をしたこともあって、春と同じくYYYで行なうことを考慮しています。
伊江島主僕キャンプは、それなりの志を与えられ、歩みを継続しています。生活・生涯のただ中で聖書に傾聴、聖書で人生、宇宙・万物を読む道を、中高生に全力を注いで伝えたいとの志です。教会は本来、現在の病院、ホテル、学校、食堂、農場などの役割を含む、全人格的で豊かな交わりの場であったはずです。この原点を見定めて、伊江島主僕キャンプでは、一つ一つのこと、ひとりびとりとの関わりに、心を込める営みをなし続けていきたいと願っています。
3. 開成で学んだことが・・・
上記のような思いで伊江島主僕キャンプの働きを継続しながら、自分の中に、開成で学んだことが深く影響を与えていると認めるようになりました。たとえば、以下の二つのことです。
(1) 中・高生に焦点を絞る
開成の長い伝統は、まさに中高生に焦点を絞る教育であったことは、万人が認めるところです。中高の上に大学設置など決して考えず、ただひたすら中・高生の教育に当たる。その結果、数多くの優れた大学教授や学長を生み出し、それぞれの大学教育の場で豊かな実を結んでいる事実を誰も否定できません。
中・高生時代が人の一生にとって、どれ程大切な根の営みの日々であるか、私なりに経験してきました。開成高校時代にキリスト信仰に導かれ、その道を歩み続け、今、沖縄で伊江島主僕キャンプに思いを注いでいる事実を見るとき、その背後に開成で中高生に焦点を絞る方針を身をもって学んだことが、確かに力になっていると認めざるをえないのです。
(2) 本物の人物との出会い
大野晋先輩の『日本語と私』(朝日新聞社、1999年)を繰り返し読んでいます。「国語学者が綴る自伝的エッセイ」と紹介されているこの貴重な本の中に、「中学校の先生」という項目があります。その文頭は、「開成中学の二人の国語の先生を思い出す。その一人は板谷菊男先生。私が生徒だった昭和一桁の終りごろ、先生は三十歳代の後半、まだ四十歳にとどいておいでではなかったろう」と書き出され、感動的な文章が続きます。大野先輩から二十年後、私も板谷先生から授業を受ける特権にあずかりました。大野先輩とは比較にならないレベルではありますが、私は私なりに板谷先生という本物の人物との出会いにより、他の学友と同様、自分の存在の奥深いところで影響を受け続けてきたと改めて気付かされます。
そして心を定めるのです。伊江島主僕キャンプで、本物の人物を中・高生に紹介し続けたいと。
4.結び
今回、亀山君の労で、沖縄で生活する開成の卒業生の名簿が編まれること、心より感謝しています。開成の善き伝統が様々な形で、沖縄の地においてもさらに実を結んでいくために、この労が豊かに用いられるよう期待したいのです。
『汝(なんじ)の少(わか)き日に汝の造(つくり)主(ぬし)を記(おぼ)えよ』(文語訳聖書、伝道之書12章1節)