私は何者か、そう、「人間・アダム」

私は何者か、そう、「人間・アダム」

私にとって一番に身近な自覚は、「人間・アダム」です。
創造者なる御方は、クリスチャンではなく、「人間・アダム」を創造された。
真実の人となられた真実の神であるお方がペテロそして私を呼び出してくださったのは、「人間をとる漁師」(マルコ1:17)なるため、いわゆる制度上のキリスト者の誕生・教会建設のためではない。創造者の意図なさる、本来の人間、私らしい私になるためであり、そのためには、最も人間らしい人間、第二のアダム、聖書を通し、聖霊の導きを通して呼びかけて下さる御方に従うことだと理解し、そのような生活・生涯を願っています。
「信仰の手ほどきまた仕上げなさるイエスを仰ぎ見て走りましょう。彼は、自らの前に置かれたよろこびの代わりに、恥をいとわず十字架を忍び、神のみ座の右におすわりでした。」(ヘブル12:2、前田訳)、感謝。