「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋  森弥栄子姉の第28話 使徒言行録2:22−24

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋  森弥栄子姉の第28話 使徒言行録2:22−24

第二十八話 ペンテコステⅡ(使徒言行録 第二章二二〜二四)

イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた人です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

キリスト教にとっては、大切なお祝いの日が三つあります。クリスマス、イースター、それから、ペンテコステの日です。
クリスマスがどのような日か、もうみなさんはよく知っています。イースターは復活祭とも呼ばれます。イエスさまが十字架にかけられて、人間の罪の犠牲になってくださいましたが、神さまはイエスさまを死んで、それきりにはいたしませんでした。死に打ち勝って復活させてくださいました。イエスさまが、もし、復活しなかったとしましたら、今日、この吉祥寺教会はなかったことでしょう。いや、世界中の教会はなかったはずです。

教会というところは、気が遠くなるような長い長い、二千年もの間、よくも飽きもせずにイエスさまのご復活されたことを、宣べ伝えてきたと感激します。飽きることなく、休むことなく、ひたすらにイエスさまが復活されたという、大きな喜びを人々に次から次へと宣べ伝えてきました。
エスさまが復活したことが、どうしてそんなに大きな喜びなのでしょうか。
今朝、読みました聖書の文は、イエスさまの第一のお弟子さんでしたペテロさんが、ペンテコステの日にしたお説教なのです。しかも、世界で初めてしたお説教なのです。ペテロさんはイエスさまが復活したことを知りますと、喜びに満ちあふれて人々の前で堂々と、イエスさまは十字架で死んだけれども、実は死に打ちのめされたのではなく、死に打ち勝って、父なる神さまの国にお戻りになったのだと宣言したのです。
イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です」と、ペテロさんは言います。

全知全能の、すべてのことを知っていらっしゃる神さまがいらっしゃる。美しい空も、美しい花も、きれいな蝶々も、そして、わたしたちもみんな神さまのお造りになった美しい作品なのだと心を動かされて、感謝した人がいます。むかし、読んだ本ですが、雪を研究していた中谷宇吉郎という科学者がいましたが、その人のご本に、「雪は神さまから送られてくる美しいお手紙だと思います」と、書いてありました。

わたしたちは、神さまのことはわりあい認めやすいのです。そして、〝神さま〟とお祈りもできます。けれども、イエスさまを信じますかと聞かれますと、「うーん?」と首をかしげる人が多いのです。
それは、イエスさまは神さまがお遣わしになられた、神さまが一番いとおしんでおられたみ子だということが、分からないからだと思います。
神さまは大切なイエスさまを人間の世界へ「さあ、行ってらっしゃい」と言ってお使いに出されました。ノアの洪水が起こった時と変わらない人間世界なのです。罪という洪水がいつあふれてくるか知れない、人間の世界なのです。ニュースを聞いていましたら、どこかの中学で、みんなの飲むお茶に農薬を入れてあったとか、いじめのはずみで友達を殺してしまったとか、怖ろしいことばかりですね。これもみな、悲しいことですけれど、人間の中に信用のできない罪というものが隠されているからなのです。

神さまは、そんな危ない人間の世界だと百も承知のうえで、一人子のイエスさまをお使いに出されました。お土産まで、たくさん持たせて出されたのです。それは、神さまの言葉、真理の言葉をお土産に持って、イエスさまはわたしたちの世界に来てくださいました。
エスさまが神さまから運んできてくださった、真理の言葉、今は聖書の中に大切にしまわれているたくさんの味わい深い言葉ですが、そのお土産を、わたしたち教会へ来ている子どもは、喜んで受けることができます。
そして、イエスさまの言葉によって、わたしたちはどんな宝石よりも美しい飾りを、心のまん中に飾りましょう。
エスさまの数々のお土産があまりに素晴らしすぎたので、罪のある人はねたんで、イエスさまを十字架にかけて殺してしまいました。
罪のある人と、わたしたちもまた、同じ人間に生まれていることを、わたしたちは忘れないようにしましょう。もし、それを忘れたとき、わたしたちもまたイエスさまを、再度、十字架にかけるかも知れないのです。
それよりも、イエスさまを死んだままにしておかれないで、神さまはイエスさまを復活させて、再度、ペテロさんたちに会わせてくださいました。イエスさまが復活して、今もわたしたちと一緒に生きて働いていてくださるので、わたしたちもイエスさまの真理の言葉に出会うときには、心が楽しくなり、希望を持って生きようと思うのです。
エスさまこそ、本当の神さまをわたしたちに知らせてくださった、神さまのみ子なのです。