聖書をメガネに 故・高本康生いのちのことば社出版部長の忘れがたい思い出

聖書をメガネに 故・高本康生いのちのことば社出版部長の忘れがたい思い出 
執筆者 : 宮村武夫

今回、『新実用聖書注解』リニューアル版出版を伝え聞き、『実用聖書注解』出版の過程で経験した故・高本康生いのちのことば社出版部長の思い出が鮮明になり、今の生き方に勇気と励ましを与えてくれています。

当時、沖縄の地で、地域教会の牧会と、地域に建てられた神学教育機関における神学教育に従事していました。確かに、従事していたのです。しかし、それはかなり激しいそううつ状態の中で進める、いわばぎりぎりの日々でした。そのような中で、『実用聖書注解』の3人の編集者の1人として招きを受けたのです。当然、お断りしました。

ところが、高本さんが沖縄まで出向き、個人的に私の生活状態を見、その上で他の2人の編集予定者からの共労への招きの言葉を伝え、ご自身の繊細で包容力のある勧めの言葉を重ねてくださったのです。そこには、『新聖書注解』のテサロニケの注解を担当した最初の時以来の、私の小さな働きに対する信頼がにじみ出ていたのです。その信頼に支えられながら、あのような状態の中で責任を果たし得たと理解しています。人を信頼する者の真実を、私は学んだのです。今、その学びを生かす責任があります。

もう1つ、忘れられない事実があります。それは、書名の「実用」です。編集の段階で販売担当の方々からの希望として、「実用」という名称が提案されたときのことです。私は、その言葉が何か、俗な表現でいえば、安っぽいように思え、反対したのです。その当時のやりとり全部を記憶してはいません。しかし、高本さんの態度が一貫しており、何か深いものがあると実感したのを覚えています。

その時の実感は、後年、私の著作集に対して、敬愛する松谷好明先生が書いてくださった励ましの言葉により、その内実を測り知るのです。松谷先生は、身に余る以下の言葉を書いてくださいました。
「イギリスに始まるピューリタニズムは、その実践的神学(practical divinity)で知られます。同じく主の教会に仕えることを目指していますが、学問的神学とは異なり実践的神学は、聖書の光に照らして敬虔なキリスト者の生を形成することを直接の目的とします。宮村先生の神学はそのような実践的神学の現代版として、私たちを信仰的に養い導くものです」

今、私にとって高本さんの存在と松谷先生の言葉が混然一体となって、クリスチャントゥデイの一員としていかに生きるか、何をどのように書くべきか、指し示していると理解しているのです。感謝。

☆3年間のクリスチャントゥデイ編集長を回顧し、4月からの歩みを展望し始めようとしている、今年になってからのある時、高本さんに、初めて手紙を書きました。
 最後に分かれる時、伊豆の山奥に消えると謎のようなことを語って、住所もかからず、そのまま年月が過ぎていたのですが、高本さんの住所を聞くことができる方に会えたのです。さっそく手紙と著作集の二冊を同封して手紙を同封しました。ところが、名宛人不明で、手紙は戻ってきました。
 その後、私に住所を教えてくださった方が、本気で調べて下さっとこる、なんと高本さんは、すでに召されており、その事実を伏せるように遺言なさっていたとのこと。
 そうです。高本さんは、改めて、私の前から、すーと消えられた思いです。それだからこそ、一段とその存在の重さを覚えてもいます。
 私の手元に戻ってきた、高本さんあての手紙は、以下のものです。
「頌主。
 長い間ご無沙汰しています。2月から、クリスチャントゥデイで働くことになったZ兄から住所を聞くことができました。
 私が躁鬱で一番大変だった時、『実用聖書註解』編集の仕事を、誠意をもって勧めてくださり、支えてくださった好意を忘れることができません。その後も、2009年12月に脳梗塞を発症したり、教会から離れるなどありました。そうした中で、思いを越えた導きで、クリスチャントゥデイの働きを引き受けました。
 各自を真実に導き給う主に感謝して。
         2017年1月31日 
               忍耐と希望(ローマ8:25)
                  宮村武夫・君代
  高本兄 」                                
 1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。2014年4月からクリスチャントゥデイ編集長