1969年東京キリスト教短期大学で新約通論での出会い、波紋の広がり今も、 その2

1969年東京キリスト教短期大学で新約通論での出会い、波紋の広がり今も、 その2

 1969年4月、国立市の東京キリスト教短期大学1年生の新約通論。
学生の一番若い世代は、その3月に高校を卒業したばかりの17,8歳。年齢の幅だけでなく、各自の背景も多様でした。
 教師の私は、1967ねん10月に4年間留学から帰り、埼玉県の寄居の教会牧師に復職、20代の最後でした。
 クラスの中でも、川越弘・和子夫妻は、なんと沖縄の私たちが教会を牧会していた西原町日本キリスト教会の牧師として転勤されたことを中心に、生涯に綿親しい交流を重ねています。
 最近も、クリスチャントゥデイに以下のインタビュー記事に掲載。まさに1969年東京キリスト教短期大学で新約通論での出会い、波紋の広がり今もです。

☆山城博治さんの釈放求め、宗教者が共同声明 牧師やキリスト教団体も賛同
記者 : 守田早生里

昨年10月17日、沖縄の辺野古・高江の米軍新基地建設をめぐり、反対運動をしていた「沖縄平和運動センター」のリーダー山城博治さんが沖縄防衛局職員にけがを負わせたとして、公務執行妨害と傷害の容疑で逮捕された。
山城さんは、4カ月以上がたった現在も勾留が続いている。最高裁は、山城さんの弁護側が求めていた保釈の請求について、先月20日付でこれを棄却した。

最高裁の判決を前に先月16日、「沖縄平和運動センター議長 山城博治さんの即時釈放を求める」宗教者共同声明の発表記者会見が参議院議員会館で行われた。
呼び掛け人の1人、川越弘牧師(日本キリスト教会沖縄西原教会)は本サイトのインタビューに対し、「とにかく一刻でも早い釈放を」と強く訴えた。
川越牧師によると、山城さんをリーダーとする座り込みは、「非暴力で」「自主的に」「愛とユーモア」といったガイドラインが徹底されていたとのこと。

現場で市民の行動が過熱したり、機動隊員と衝突したりしないよう、繰り返し呼び掛けもしていた。強制排除の際にも、住民側にケガ人が出ても、機動隊側を傷つけることはなかったという。
「山城さんの健康が心配です。2015年に大病を患い、病み上がりです。今も白血球値が下がり、病院に通院して治療を受けなければならない状態です。健康を害していることが明らかなのに、長期勾留が続けられています。山城さんの家族の接見も禁止されており、弁護士としか会えません。生命の危険もある長期勾留は人道上、決して許されることではありません。一刻も早い釈放を求めます」と川越牧師は語る。

日本の国土の0・6パーセントにあたる沖縄には、日本の米軍基地の74パーセントが集中しているにもかかわらず、さらに耐用年数200年以上の半永久的な基地を作ろうとしている。70年前、4人に1人が亡くなった沖縄戦を経験した人々は、「軍隊は国を守るが、民衆を守らない」ということが骨の髄まで染み込んでいるという。

「戦争が沖縄から再び起こらないように非暴力闘争を続けています。沖縄戦を体験した90歳にもなるおじいやおばあたちが、機動隊を前にして闘っております。私たちのこの闘いは、沖縄だけの闘いではありません。日本の民主主義が確立していくための闘いです。日本人は、沖縄の痛みを自分の痛みとしなければなりません。沖縄の問題は、日本人一人一人の問題です。沖縄を踏みにじってきた日本政府と、それに無関心な日本人こそ、沖縄の苦しみ以上の痛みを持つべきです。どうぞ、このことをよく理解していただきたいと思います」
同声明には、牧師、僧侶などの各宗教者の名前が連なる他、日本カトリック正義と平和協議会、平和を実現するキリスト者ネットなどの各団体も賛同している。
☆2012年以降、毎年2月沖縄訪問の際は、日本キリスト教会沖縄伝道所の午前中の祈祷会に必ず参加しています。
 今年も、川越牧師が国会に向かう前日、祈祷会に参加しました。
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