「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 森弥栄子姉の第25話 ルカ24:44−53

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 森弥栄子姉の第25話 ルカ24:44−53

第二十五話 復活(ルカによる福音書 第二十四章四四〜五三)

エスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死人の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

 先週の日曜日はイースターの日でしたね。復活祭の日とも言います。教会では、クリスマスよりもイースターのほうが意味のある大切な日だと言われています。
 なぜかと言いますと、今日の聖書の物語にも書いてありますように、十字架におつきになったイエスさまが、三日目によみがえられたからです。そして、弟子のペテロさんたちに現れてくださいました。それはね、イエスさまが十字架の苦しい死に負けなかったということ、つまり、苦しみに勝ったということなのです。イエスさまは本当は、強い神さまのお子さまだったのです。
そのことは、みんなに、そう、私たちにも希望と喜びを、与えてくださるからなのです。

 さて、今朝の聖書のお話によりますと、イエスさまが十字架につけられましてお亡くなりになったあとの日のことです。
 どうやら、ペテロさんたち十一人の弟子とその他のお仲間が、エルサレムの街のどこかの家に集まっていました。弟子たちは、イエスさまという大切な宝物を十字架の上に亡くしてしまいましたから、どんなにかわけが分からなくなって、辛い思いをしていたかもしれません。ペテロさんなどは、イエスさまが捕まえられました時、三度も、「イエスさまを知らない」と、うそを言っていましたね。それで、イエスさまを裏切ったことを思い出して、きっと後悔して泣いていたことでしょう。

 すると、その時、そんな裏切り者の弱虫の弟子たちのところに、イエスさまが現れてくださったのです。「裏切り者」だなんて、イエスさまは決しておっしゃいませんでした。それどころか、イエスさまは弟子たちの心を開いたと、聖書には書いてあります。
 心を開いたとは、どのようなことなのでしょうね。それは、きっと、弟子たちが一生懸命、イエスさまのお話に耳を傾けて聴いたのだと思いますよ。それほど、イエスさまに会って、うれしかったのですね。元気が出てきたのですね。

 イエスさまは、優しく、さとすように、聖書、そのころは旧約聖書でしたが、その旧約聖書に何が書いてあるか、よく分かるように教えてくださったのです。実はね、「イエスさまは、救い主・キリストです」ということについて、書いてあるのです。そして、キリストは、罪人たちに苦しめられて死にます。けれども、三日目に必ずよみがえります。そのことによって、「イエスさまは、本当に救い主でした。まことに神さまです」と、人々が信じるとき、その人の罪は赦されるのです、とイエスさまが教えてくださいました。

 そうして、この罪の赦しが、全世界の教会へ、そうです、東京の吉祥寺教会学校の子供たちにも宣べ伝えられていくでしょう、とおっしゃったのです。
おまけに、イエスさまは弟子たちに言いました。「父なる神さまから、今に、力ある贈り物を送るから、みんなエルサレムで待っていなさい」と。いったい、どんなプレゼントでしょうね。それは五月の日曜日にきっと分かりますよ。

 今度は、弟子たちは素直にイエスさまに従いました。「はい!エルサレムでお待ちしています」と。そして、イエスさまは天のお父さまのもとへお帰りになりました。
 ところでね、教会は新しいエルサレムかもしれません。エルサレムなのです。私たちも、「はい!イエスさま、日曜日には教会学校へまいります」と、心の中でイエスさまにお応えしましょうね。そうして、未来を見つめつつ、希望を持ってイエスさまを信じ生きていきたいですね。そんな私たちを、イエスさまはいつも父なる神さまとごいっしょに、励まして見つめていてくださいますよ。

父なる神さま。
今日も世界中の教会学校のお友だちとともに、心を合わせてあなたを賛美いたします。どうか私たちが、あなたに愛される、み心にかなった子供として、また、教師として成長していくことができますように。アーメン。
 一九八七・四・二六

イースターのお祈り
恵み深い父なる神さま。
わたしたちは今、神さまのみ前に、喜びに満ちて復活祭をお祝いするために集められています。どの日よりも美しく、輝かしく、清らかなこの日をわたしたちは、心から感謝を込めてお迎えいたします。
二千年の昔、神さまが最も愛されていらっしゃったみ子、イエス・キリストは、わたしたちすべての罪を、ご自分の身に引き受けてくださり、わたしたちに代わって、十字架の上に、尊いあがないの小羊となって苦しまれました。
わたしたちは、主・イエス・キリストの苦しみを思います時、自分の中にある罪を見つめなおして、心からお詫びいたさずにはいられません。けれども、わたしたちの主・イエス・キリストは、それらの苦しみを乗り越えて、ご復活祭のこの日、生ける救い主として、愛するお弟子たちの前に永遠の命をお示しになられました。そして、今もなお、イエスさまを神の子でいらっしゃると信じるものには、惜しみなく、深い哀れみと慈しみをお示しくださいますことを、わたしたちは知ります。
教会に満ち満ちています。主・イエス・キリストの愛の深さ、力強い復活の喜びを、いつも素直にお受けするにふさわしいこどもとして成長させてくださいますよう、どうか聖霊のお導きをお願いいたします。
主・イエス・キリストのご復活を感謝しつつ、小さなこれらの祈りをイエスさまのみ名をとおしてお捧げいたします。 アーメン。
一九八八・四・三