「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 森弥栄子姉の第22話 マタイ26:47−56

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 森弥栄子姉の第22話 マタイ26:47−56

第二十二話 ユダのうらぎり(マタイによる福音書 第二十六章四七〜五六)

エスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」またそのとき、群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

エスさまには十二人の弟子がいました。先週のお話では、イエスさまが十二人の弟子たちと一緒にお食事をなさったということでした。その日は、神さまに感謝を捧げてお祝いをする、大変重要なお祭りの日でした。

お祭りという楽しいお食事のはずの日に、イエスさまは思いもかけないお話をしました。十二人の弟子たちの中の一人がイエスさまを裏切るだろう、と言いました。十二人の弟子たちの中に、ユダという名の人がいました。そのユダはそのころイエスさまを裏切る決心をしていました。ユダがイエスさまに出会ったはじめの頃、ユダはイエスさまを信じていました。イエスさまに大きな希望をかけていました。どのような希望かと言いますと、今にイエスさまはイスラエルの国の王さまになってくださるにちがいない。そして、その時代、ローマという国に支配されていたイスラエルの国を苦しみから解き放してくれるにちがいない、とユダは思っていました。

ところが、イエスさまに従って約三年が経ちましたが、どうもイエスさまはイスラエルの王さまになりそうにもない。それどころか、パリサイ人ですとか、律法学者ですとか、イエスさまの敵の数の方が増えてまいります。イエスさまの弟子でいるのは危ないし、損をするように感じられました。それで、ユダは安いお金で、巧みにイエスさまを敵の手に渡して自分の立場を守ろうとしました。

エスさまにとって、ユダの裏切りは大きな心の痛手でした。先ほどお話しましたお祭りのお食事の時、これを「最後の晩餐」と呼びますが、その「最後の晩餐」で、イエスさまは寂しそうに「あなた方のうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」とおっしゃいました。ユダの裏切りは大変重い罪です。神の子、イエス・キリストを捕らえて殺そうとしている人たちに、お金で売り渡そうとしていたのですから。神さまをないものにしてしまう、それほど恐ろしい罪はありません。

エスさまと十二人の弟子たちが「最後の晩餐」の後、山へお祈りに出かけます。厳かなお祈りが済みますと、ユダがイエスさまを捕らえる人たちを案内してやってきます。もう夜が近づいていましたから、どの方がイエスさまかはっきり分かりませんが、ユダには先生でいらっしゃったイエスさまのお姿が見分けられます。ユダはすぐイエスさまに近づいて「先生、こんばんは」と言って、親しみ深そうにご挨拶をしました。でも、心はもう神の子・イエスさまから離れていました。イエスさまは「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われました。そして、イエスさまは神殿の護衛兵たちに捕らえられてしまいました。

お話はたったこれだけです。イエスさまみずからが祈りつつお選びになったはずの十二人の弟子のうちから、たった一人の恐ろしい罪が、まずはっきりと現れました。信じていたイエスさまを殺してしまうと言う恐ろしい罪です。「先生、こんばんは」と言う、親しげな心の底に隠されている、ユダの図々しいまでの気持ちです。それと反対に、イエスさまの、「友よ」と呼びかけられるお優しい心を比べてみてください。イエスさまはユダの心の底をもうとっくに知っているのです。自分を死へと追いやろうとしている弟子に、「友よ」と呼びかけておられます。心からそのように感じ、友と思っておられたからです。「ヨハネ福音書」でイエスさまはまた、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われました。イエスさまにとって、すべての人は「友」なのです。自分を殺す敵さえも友なのでした。「イエスさまの愛」、これ以上に大きな愛はありません。

聖書は、イエスさまが人々の罪のために、ご自分の命を犠牲にされたと書いていますが、これは深い神秘の言葉だと思います。
この世の中にも、そしてわたしの小さな心の中にも、神さまの心を痛めるような事件が次々と起こります。それでもなお、罪人のために祈って死に、最高の愛を示してくださった、神のみ子イエス・キリストがおられると言う事実を、私たちは忘れないようにいたしましょう。