「…つつ」の道ー「わたしは進歩しつつ書き、書きつつ進歩する人の一人であることを告白する」ー

「…つつ」の道ー「わたしは進歩しつつ書き、書きつつ進歩する人の一人であることを告白する」ー

この印象的な「・・・つつ」の道を進む者の告白は、ジャン・カルヴァン(1509〜1564)が、『キリスト教綱要』の序文「ジャン・カルヴァンより読者の皆様へ」の結びで、アウグスティヌス(354〜430)の書簡から引用しているものです。

カルヴァンは、私たちと彼の間に横たわる世紀の隔たりに倍する隔たりを越え、これを自分のことばとして引用しています。
事実、カルヴァンは、1536年に『キリスト教綱要』の初版を出版した後、2版(39年)、3版(43年)、4版(50年)と実践しています。
聖書のもとに自らを置き、聞き、従い生き、伝える説教者を目指す私自身の生活と生涯にとり、上記先達の告白と実践はいつも励ましでした。
そればかりでなく、40年以上、三神学教育機関で聖書解釈学を中心に神学教育に従事する中で、この告白を伝え続けてきました。その実りを、この方、あの方の実例において認め、心満たされています。

今、クリスチャントゥデイの働きに参加するただ中で、上記のことばが新しく励ましとなっています。
50歳以上と大きな年齢差のある記者各自が取材の現場に深く根ざしながら、事実をことばとして刻む営みを重ねています。進歩しつつ書き、書きつつ進歩する道を歩む証である記事を読む喜びを経験し、僕仲間(黙示録22:8、9)の研鑚と交わりの場の大切な一つ編集会議に参加し楽しんでいます。
 しかし、ここでも戦いはあります。あのお方から目を離して、誠実の美名のもとに自らの身に目を向け落ち込み、そればかりでなく望みを絶つ絶望の落とし穴に陥る道との戦いです。
 さらに成長した、改革された、脱カルトしたと、もはや「・・・」の歩みをなさず高ぶり、自己満足に舞い上がる危険です。
 これら二重の落とし穴からの解き放ち、それは、「…つつ」の道であり、 「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(ヘブル12:2)との警告と励ましのことばに聴従する道を歩み切ること覚えます。