教会のあるべき姿を求めて、赤ちゃんが1人でも各地域教会の主日礼拝に参加をと祈る

教会のあるべき姿を求めて、赤ちゃんが1人でも各地域教会の主日礼拝に参加をと祈る
★「ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。」(ルツ4:16)

★「すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。」(ルカ2:28)

昨年のクリスチャントゥデイにおける、クリスマスメッセージ「シメオンとアンナのクリスマス」において、「この場面(ルカ2:35以下)をメガネに、あるべき教会の姿を求めて、赤ちゃんが1人でも主日礼拝に参加することを祈り、赤ちゃんをゆっくりとしっかりと抱くシメオンやアンナの居場所としての、シメオン・アンナの部屋を備えるために祈る喜び、そのために犠牲を払う苦しみの喜びです」と記しました。

これは、現代日本の各地域教会のための祈りだけではなく、日本の社会、世界のための祈りです。新しい年、クリスチャントゥデイが幼児虐殺の現実から目をそらさず、同時に幼児をあのお方に重ねて希望の光を抱く喜びの中から紙面を提示し続けることができますように。忍耐と希望(ローマ8:25)を心と生活・生涯に、聖霊ご自身によって注ぎ込まれ、読者の皆様と共に、苦悩と喜びの日々を歩み続けるよう祈ります、感謝。