畏友新井明先生への宮村からの手紙・メールは、たとえばこれ

畏友新井明先生への宮村からの手紙・メールは、たとえばこれ

「新井明先生ご夫妻
2011年4月16日
頌主
 先には、「母なる」Amherstをご恵送下さり、心より感謝しました。
新井先生に個人的にお尋ねしたいと考えていたことごとが、みな明記されていると言っても過言ではありません。
 ニユーイングランドを訪問するたびに、魂の故郷の思いを深くします。

喜びカタツムリの便り

ゴルゴダ
  担われ進む カタツムリ

ゴルゴダ
  担いて歩む カタツムリ

 1986年4月来沖以来25年の沖縄での生活の後、私ども千葉市川に移住を決定。
5月24日沖縄から厳しい地への旅たちの日を中心に、大切な日程が決まりつつあります。  

3月27日は、那覇バプテスト教会で宣教担当。
4月3日は、那覇聖書研究会(無教会)宣教担当    
Ⅱテモテ2章8−13節、『聖書は全て神の霊感によって』
4月5日は、教団首里教会朝祷会宣教担当

 確かに首里福音教会に留まっていては考えられない広いところに、修羅場を通して導かれています。
 詩篇31篇8節
「あなたは私を敵の手に渡さず、
 私の足を広い所に立たせてくださいました。」
金城重明先生との主にある交わりのさらなる絆・モルトマン先生の自伝の題名は、『わが足を広きところに』。
  
 3月6日、名護チャペルの協力宣教師としての立場決定覚書交換、沖縄を離れても沖縄との絆を与えられ、感謝です。名護・やんばる・北部を視点に沖縄全体を視野に、1986年4月からの一貫性と共に、2011年5月からの進展と理解しています。
5月22日には、協力宣教師就任式。司式は日本聖公会沖縄教区、谷主教です。
 宮村武夫著作刊行の賛同人のお一人です。

 敬愛する、前東京女子大学長・湊晶子先生のチャレンジと励ましを改めて心に刻んでいます。
 「洞窟の中で神学を語るのではなく、世の真っただ中に毅然として共に立ち、傷だらけになりつつも、天に迎えて頂けるその日まで、「存在の喜びを」、"to be" の喜び」を 、宣べ伝え続け、良き模範を残してくださると期待している」(宮村武夫著作7『存在の喜び』 宮村武夫著作の源泉・「もみの木幼児園の十年,7頁)。
 まさに今、このとき、湊先生からの直接な語り掛けです。
 
 もみの木幼児園が、四十年前、「存在の喜び」の現場であったのです。そして四十年後、(脳梗塞後にリハビリのために入院した)大浜第一病院が、新しく「存在の喜び」の現場となった事実を教えられます。さらに大浜第一病院退院後、喜びカタツムリとして生かされる場、いつでもどこでも、そこが「存在の喜び」の現場。

 永田竹司先生をはじめ編集委員各位の愛労による、宮村武夫著作 7宮村武夫著作の源泉・「もみの木幼児園の十年」の刊行を、「・・・もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル4章15節)と判断するのは、不遜でしょうか。

「もっか原発被爆恐怖です。いわき市の多くの人たちは東京等に向けて脱出しました。牧師たちもある人たちは脱出しています。私は悩んでいます」との教え子である牧師ご夫妻のメールに答えつつ。

イザヤ63章9節を覚えます。
「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
  ご自身の使いが彼らを救った。
  その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
  昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」

被爆者キリスト』のイメ−ジを心に刻んでいます。

 祝福が続けて豊かにありますように。

 忍耐と希望(ローマ8章25節)
  宮村武夫・君代」