Ⅱコリントの味わい、三題 その3

Ⅱコリントの味わい、三題 その3
 
「聖書に聞き、聖書に生きる」道を求める道を求める者として、Ⅱコリント全体の流れを大切にしながら。

★その1
Ⅱコリント1:1ー11
『すべての慰めの神』 讃美歌321

★その2
Ⅱコリント7:1ー7
『ともに生きるために』 聖歌201Ⅱコリント12:1ー10
★その3
『わたしの恵みは、あなたに十分』 讃美歌518



『わたしの恵みは、あなたに十分』
 コリント12章1ー10節
[1]序
  Ⅱコリントの味わいの3回目として12章1ー10節に意を注ぎます。
まず11章との結びつき、直接には11章30節との関係に注意します。 1ー4節に見る、[第三の天」、「パラダイス」などは、相手(コリント教会の人々)の関心を考えての発言であり、パウロが本当に語りたいことは、12章9、10節に要約されていると考えられます。特に、
 「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」(11章30節)とあるように、「誇り」、「弱さ」などが12章1ー10節における中心的な課題であると見ます。

[2]誇りと弱さ
 この段落の前後で、弱さと誇りについてパウロが繰り返し言及している事実は明らかで、注目する価値があります。
 「私は自分の弱さを誇ります」(11章30節)
 「自分の弱さ以外には誇りません」(12章5節)
 「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(12章9節)
(1)「誇り」。
 誇ってならないものを誇らないように。
 誇っても、誇らなくてもよいものについては、神経過敏にならないよ うに。
 誇らねばならないものを恥じないように。
 主イエスに対して、マルコ8章38節、「このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます」。
福音に対して、 ローマ1章16節、「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」。

(2)「弱さ」
 聖書に見る「弱さ」について、幾つかの点を確認できます。
 身体的なことなど、一般的な意味での弱さ、参照民数記13章18節。
しかしそればかりでなく、宗教的、精神的、倫理的欠如・足りなさ、参照詩篇6篇2節、「主よ。私をあわれんでください。私は、衰えております。」、ローマ5章6節。
 しかし注目すべき点は、「弱さ」は必ずしも否定的に見られていない事実です。主なる神は、弱い者を助け、また弱い立場にある者の保護を命じておられます。参照エゼキエル34章4、16、23節。
 この流れの上に、
 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」 
「福なる者は霊に於て貧しき者[なり]、それは天国は彼等のものなればなり。」(新契約聖書訳)
「さいわいなのは霊に貧しい人々、
  天国は彼らのものだから」(前田訳) (マタイ5章3節) 
主イエスご自身と弱さ。マタイ8章17節に見るイザヤ53章の引用。
 上記のそれぞれとの深い結び付きで、キリスト者・教会と弱さの関係は理解されるべきです。その際、 Ⅱコリント11、12章は大切な鍵。

[3]「わたしの恵みは、あなたに十分である」(9節)
 「我が恵みは汝に足れり」(新契約聖書訳)
 「わが恩恵はあなたに足りている」(前田訳)
(1)Ⅱコリントを通して、パウロは神の恵みについて、くりかえし強調。2章14節、4章15節、6章1節、8章1、4、6、7、9、16、19節。9章8、14、15節。12章9節、13章13節など、手紙全体を貫いて。

(2)「恵み」は、パウロ特愛のことばの一つ。新約聖書パウロ以外の著者全部合わせて51回用いているのに対して、パウロの手紙では101回用いていると言われます。

(3)しかしパウロの関心は、主なる神の恵みが豊かに注がれている事実の指摘だけでなく、6章1節に見たように、その恵みに対する応答がどんなに大切かをくりかえし強調しています。
 「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。」(6章1節)、参照Ⅰコリント15章10節。
 この神の恵みをむだにしないようにとのメッセージは、何より主イエスご自身が教えておられることで、特に主イエスのたとえの中で明らかです。たとえばマルコ13章33ー37節。
 「気をつけなさい。目をさまし、注意しなさい。」(13章33節)。
「わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」(13章27節)

[4]結び
(1)「第三の天にまで引き上げられ」(12章3節)るや、「パラダイスに引き上げられ、・・・ことばを聞いた」(12章3節)などの特別な経験を、コリントの人々も同じく経験すべきこととして、パウロは伝えているわけではない。

(2)パウロの中心的なメッセージは、「わたしの恵みは、あなたに十分」(9節)と神の恵みの豊かさの現実を知ること。また「神の恵みをむだに受けないようにしなさい」と、それへの応答。

(3)「キリストの力が私をおおうために」(9節)、「私が弱いときこそ、私は強いからです」。パウロも確かに、力、強さついても課題としており、それらを頭から否定しているわけではない。
 しかし私たちが大切にすべき課題は、どのような「力」、どのような「強さ」が本当の力であり、強さかであり、パウロはそれを指し示している事実を把握し応答実践する一事です。

 「私たちは、四方八方から苦しめられますが、
    窮することはありません。
  途方にくれていますが、
    行きづまることはありません。
  迫害されていますが、
    見捨てられることはありません。
  倒されますが、
滅びません。」(Ⅱコリント4章8、9節)