Ⅱコリントの味わい、三題 その1

Ⅱコリントの味わい、三題 その1
 
わたしの恵みは、あなたに「聖書に聞き、聖書に生きる」道を求める道を求める者として、Ⅱコリント全体の流れを大切にしながら。

★その1
Ⅱコリント1:1ー11
『すべての慰めの神』 讃美歌321

★その2
Ⅱコリント7:1ー7
『ともに生きるために』 聖歌201Ⅱコリント12:1ー10

★その3
Ⅱコリント12:1ー10
『わたしの恵みは、あなたに十分』 讃美歌518


『すべての慰めの神』
 Ⅱコリント1章1ー11節
[1]序
(1)1節、 コリントの手紙は手紙。発信人パウロパウロが主イエスを伝える使徒とたてられたのは、「神のみこころによる」。パウロと兄弟テモテから、コリントにある神の教会への手紙。
両者の背後にあってそれぞれを導き、また両者の交わりを支えておられる、主なる神ご自身からの手紙である根源的事実を具体的な手紙が通し透かし読む喜びを味わいます。
コリント教会は、他の地域の教会との交わりの中で生きされている恵みの事実に意を注ぐ必要があります。

(2)2節に見る、手紙のはじめに記されるあいさつのことばそのものが祈り。
 続く3節、父なる神への賛美。この手紙そのものが、コリント教会の主日礼拝で読まれた可能性が高い。
コリント教会の人々は、主日礼拝を中心に、日々の歩みをなす礼拝の民、では私たちは。

(3)3節、主なる神をほめたたえる。その根拠として二つの点。
  3ー7節では、3節の「すべての慰めの父なる神」に示されている「慰め」を鍵のことばとして、賛美と慰めを提示します。
  8ー11節、パウロのアジアでの経験の記述を通して祈りへ。
 
[2]賛美と慰め、3節―7節
(1)3節、手紙のはじめに、主なる神への賛美のことば。その中で、主なる神について、どのようなお方か言い表しています。信仰告白と生活の深い結びつきをみます。
  「主イエス・キリストの父なる神」、主イエスを通して、ご自身を 現らわされるお方。
  「慈愛の神」、相手の状態に対する深い理解。
  「すべての慰めの神」。4節以下で詳しく説明。「慰め」ということばを、3ー7節において、なんと10回も繰り返えしパウロは強調しています。

(2)「すべての慰めの神」を、慰めを受ける側にも注目し、「神はどのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます」(4節)と言い換えています。
 この苦しみの中で慰めを受ける経験は、「こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです」(4節後半)と波紋のように広がります。
「どのような苦しみ」とあるように、苦しみはさまざま。その中で慰められた者として慰める者としてされて行きます。ここでの「慰め」とは、直面している苦しみ・「苦難に耐え抜く力」(6節、参照10節、パウロたちの経験)。 

(3)5節、「キリストの苦難」。苦しみ・苦難について、主イエスの十字架の事実を通して理解する道。「慰めもまたキリストによってあふれている」とあるように、主イエスを中心に。パウロたちとコリント教会との交わりは、主イエスにある苦しみと慰めの両方を深くかかわるものです7節)。

[3]パウロのアジアでの経験と祈り、8節ー11節
(1)パウロ自身に、8ー10節。
 8節以下では、「どのような苦しみ」(4節)と苦しみ一般ついてではなく、パウロたちがアジアで経験した特定の出来事をパウロは実例として取り上げ、3ー7節で述べて来たことをさらに明らかにします。
 パウロが取り上げいる。「アジアで会った苦しみ」(8節)は、どのことを指しているか意見が分かれる。しかし、「非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危なくな」(8節)る とあるように、パウロが福音宣教のために経験した厳しい苦しみの経験であったのは確かです。 
 パウロは、この苦しみの経験が、主にあって目的を持つと理解し、「もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださった神により頼む者となるため」と掘り下げています。苦しみや弱さの意味について、さらに10ー13章など手紙全体を通しパウロは明らかにして行きます。
 「死者をよみがえらせてくださった神」については、アブラハムの信仰を参照(ローマ4章17節、「彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方」)。主イエスの死からの復活の事実に根差す信仰です。
 この厳しい経験の中で、パウロの祈りは答えられ、彼は救い出されるのです。「ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました」(10節)。この経験は、「また将来も救い出してくださいます」と、過去の思い出としてばかりでなく、将来についての確信 を与えられる機会となります。パウロは現在の希望・確信を、「なおも救い出してくださいという望みを、私たちはこの神に置いているのです」(10節)と明らかにしています。

(2)11節、コリント教会との関係、執り成しの祈りを中心に。
 8ー10節に記されている、パウロたちのアジアでの経験は、コリント教会の人々とも深いかかわりがあります。コリント教会の人々は、「あなたがたも祈りによって、私たちを助け協力」(11節)と、パウロたちの福音宣教に祈りを通してあずかっていました。
 「多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵み」(11節)とあるように、パウロたちがアジアでの危機から救い出された背後に、コリント教会の人々の執り成しの祈りがあります。この危機からの救い出 されたことは、それですべてではない。このことを通して、「多くの 人々が感謝をささげるようになるため」とあるように、神への感謝がささげられる機会として、さらに広がります。ここでもパウロが神への賛美と感謝を中心として生きている生活の基調を明らかにしています。

[4]結び。
  この聖書箇所を通し教えられた幾つかの点。
(1)主なる神はどのようなお方か。
 3節で明らかにされている中心に。

(2)慰めと苦しみ・苦悩。
 手紙全体でさらに詳しく展開していくが、その中心点は、この初めの箇所でパウロは提示します。

(3)祈り。
 主なる神が執り成しの祈りを用い、救いの御業を進められます。祈りが答えられる恵みを通しても、主なる神への感謝の輪がさらに広がります。