「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その11 森弥栄子姉の第五話 十戒①

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その11 森弥栄子姉の第五話 十戒

森弥栄子姉の第五話から第七話は、十戒を取り上げています。興味深い事実です。記述の背後に、竹森先生のご指導を覚えます。

第五話 十戒Ⅰ(出エジプト記 第二十章一〜一七)

神はこれらすべての言葉を告げられた。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の、水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

 教会学校では、毎週日曜日の礼拝のときに、〝主の祈り〟と言われます「天にましますわれらの神よ、願わくば、み名をあがめさせ給え」と祈る、お祈りをいたします。
 それから、「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と言って、はじまります、〝信仰告白〟というものをいたします。〝主の祈り〟と〝信仰告白〟とは、キリスト教を信じようとする人にとっては、大切な神さまからのプレゼントだと言えましょう。
 それに加えて、もう一つ、実は大切な贈り物があります。それが、〝十戒〟です。十の戒めと書きますが、〝じっかい〟と読みます。
 〝主の祈り〟と〝信仰告白〟そして〝十戒〟。この三つは、キリスト教の三つの柱です。本当は、この三つとも、暗唱して言えるようにするとよいのです。
 
 この十戒といいますものは、神さまが、イスラエルの人々に、「あなた方は、この十の戒めを守りなさい」と言って、もう三千年以上も昔から今に伝わっているものです。
 みなさんの持っている「子どもさんびか」のページをめくってください。ちょっと読んでみます。
「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から、導きだしたものである」と、はじめに言っています。
 これは、今より約四千年も昔のことですが、イスラエルの人々が住んでいた土地に大変な飢饉が広がり、食べるものが少なくなったことがありました。現代でもアフリカのある国では、大変気の毒なのですが、食糧が不足して、子供たちが栄養失調で病気になり、次々と死んでいきます。今も、四千年の昔も人間の世界には変わらないことがあると言えるのかも知れません。

 さて、イスラエルの人々の中に、ヤコブという人の家族がいて、その一族はみな隣の国エジプトに逃げのびました。エジプトでいつの間にか四百三十年過ぎていました。そのうちに、初めのころは親切にしてくれました王さまも亡くなり、新しい違うところから来た王さまが立ちますと、次第にイスラエルの人々に辛く当たり始めました。しまいには、イスラエルの人々は、エジプトの王さまの奴隷として、とてもひどい、苦しい仕事をさせられたのです。日干しレンガを作らされ、王家の墓を造らされたりしました。

 そのころ、イスラエルの人々の中に、モーセと呼ばれる、天才的な人が生まれました。モーセは、ひょっとしたら、赤ちゃんのときに王さまに殺されるところでしたのが、神さまの愛によって助けられました。その物語は大変に長いので、そのうち聖書物語や、旧約聖書の「出エジプト記」で読んでみてください。

 そのモーセが、大人になって、奴隷になって苦しんでいるイスラエルの人々を救い出すのです。モーセこそ〝スーパーマン〟でした。
 ついに、ある夜、モーセを先頭にして男だけで六十万人以上の、大人と子どもが、エジプトの地を後にして脱出の旅に出たのです。その旅も決して楽な旅ではありませんでしたが、いつも神さまはモーセの一行を、導き守ってくださったのは確かです。

 その旅の途上で、ある日、神さまは、モーセたちにこの〝十戒〟をくださったのです。辛く苦しいことの多い旅の途中で、十戒を神さまが与えてくださったというのは、大変、深い意味がありました。それは、人々が人間として、人間らしく生きて行くのに、この戒めはとても重要なものだからです。

 特に、はじめの一から四までは、神さまを尊び、信仰をもって生きなさいということです。四番目に「安息日をおぼえて、これを聖とせよ」とありますが、これは、今朝、みなさんが、まさに聖なる日曜日を神さまの日とおぼえているので、こうして、教会で礼拝を守るのです。それを、神さまは一番喜んでくださっています。

 新約聖書の「マタイによる福音書」の第二十二章の三四節にこんなお話があります。
 ある日ファリサイ派の律法の専門家が、イエスさまにたずねます。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」と。
エスさまは言われました。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」
 十戒のはじめの一から四は、イエスさまのおっしゃった「心から本気であなたの神さまを愛しなさい」ということです。そして、五から十は、「あなたの隣人を自分のように愛しなさい」ということに、みんな含まれるでしょう。
 イエスさまは、神さまの愛を本当に知っていらっしゃるお方でした。神さまがわたしたち一人一人を愛していてくださることを、それが本当にわかるのには、イエスさまを仰いで、信じて生活することです。
 〝十戒〟がモーセに贈られたころに、イエスさまはまだ現れてはいませんでした。でも、その十戒がどれほど大切なものかを、イエスさまが、わたしたち一人一人に、その後、千年あまりたってから、教えてくださったのです。
 イエスさまは、いつも、父なる神さまと共にいて、わたしたち一人一人を愛してくださいます。わたしたちも、神さまを心から愛し、祈りましょう。

父なる神さま。
いつも、あなたを愛することが出来ますように、わたしたちをお導きください。
アーメン。
一九九〇・七・一