「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その8 細田浩兄の場合、細田浩 『出会いものがたり』②

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その8 細田浩兄の場合、細田浩 『出会いものがたり』②

二 宮村武夫先生との出会い
(一)私が、宮村先生と出会い、深い交わりが始まったのは、一九八五年(昭和六〇年)五月二日から七日にかけて、新約教団主催の第二回沖縄聖会に参加したときであった。私は、この聖会に参加する予定は元々なかった。しかし、当初参加を予定していた甲府キリスト福音教会(私の母教会)の牧師溝口捷支先生が行くことができなくなり、急遽ピンチヒッターとして、私が参加することになったのである。新約教団の牧師・信徒ら一七名が、沖縄本島首里・宇堅・石川・星の子学園の各教会、石垣島八重山キリスト福音教会をそれぞれ訪問することになった。その際に、宮村武夫先生が翌年四月に首里福音教会牧師として赴任することが既に決定していたので、そのツアーに同行することになった。そして、宮村先生が講師として沖縄の各教会に在住する信徒の方々と本土からやってきたわれわれが一緒になって、聖書の御言葉を聞く機会が与えられたのである。

(二)五月の連休で、ムーンビーチは肌が焼けるほど暑くコバルトブルーの海で泳ぐことも可能であった。しかし、首里福音教会の会堂といえば、旧米軍の蒲鉾型兵舎を使用しており、他の諸教会も横並びで、朽廃に近い会堂で礼拝をしていることが分った。五月五日(日)午後四時半、南西航空で沖縄本島から四五〇キロ離れた石垣島に飛び、八重山キリスト福音教会(浦田征洋牧師)の新約教団への入団式に参加。狭い会堂内は、本島と本土からの参加者二八名も入ったので、超満員であった。その中で宮村先生の司式によって熱気溢れる入団式が行われたのである。離島で、長い信仰生活を闘い抜いてきた八重山キリスト福音教会の会員一人一人が立って紹介された。

(三)宮村先生とは、それ以前にも、特伝講師として私たちの教会にお招きしていたので面識はあったが、深い交わりはなかった。しかし、沖縄での四泊五日の旅行期間中、沖縄のことについて、個人的に何回となく、話し合いの時をもち、教えを受けた。そして、宮村先生は、何回かのメッセージの中で、「沖縄で聖書を読む課題・喜び」と「聖書で沖縄を読む課題・喜び」があることを繰り返し語られたのである。私にとって、沖縄に関する知識は、皆無に等しく、宮村先生を通して、初めて沖縄に関する認識をキリスト者として持ち始めた。