喜びカタツムリの便り 第2期24号

喜びカタツムリの便り 第2期24号
発行者  宮村武夫
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   2016年3月30日

イザヤ書46 章3、4 節
「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。
胎内にいる時からになわれており、
生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う 。
わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。」

マタイ11章28、30 節
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って 、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

[1]序
クリスチャントゥデイの働きに直接参与して満2年が経過し、4月1日には3年目を迎えます。イースターの季節、「この時のためである」(エステル4:14)と、現在の働きに備えるために、全ての教育を受けてきたのであり、牧会や神学校教育の経験そして執筆活動を重ねる恵みに与って来たのだと認め、「忍耐と励ましの神」(ローマ15:5)に心から感謝しております。

2016年イースター:主イエスの復活、アブラハムと私たち

アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです」(ヘブライ11:19)

ヘブライ人への手紙11章17、18節は、主イエスの復活を信じる弟子たちとアブラハムとの間に、約2千年の世紀の隔たりがある事実、しかもその事実を越えてアブラハムが持つ明確な復活信仰について記述をなしています。同様に、約2千年の世紀の隔たりの事実に直面しながら、私たちがなお何を根拠に死者の復活を信じる必要があるか、また何を根拠に主イエスの復活を信じることができるか(ローマ8:23)、徹底的な聖書信仰に対して大切な示唆を与えています。

死者の復活と主イエスの復活、そして私たちの生き方の基盤との切り離し得ない関係について、パウロが明言している言葉「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(Ⅰコリント15:13、14)を再確認しながら、
(1)ヘブライ11章17〜19節、
(2)創世記22章に注意したいのです。

ヘブライ11章17〜19節
ヘブライ人への手紙の著者は、11章17〜19節において、アブラハムの信仰を明示しています。まず、17、18節では、アブラハムが神の言葉に応じている事実を二度繰り返し強調しています。
「イサクを献げました」(17)
「独り子を献げようとしたのです」(17)
さらに、神の約束を与えられており、その約束に堅く立って命令に応答した事実をも、二度繰り返しています。
「約束を受けていた」(17)
「この独り子については、『イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる』と言われていました」(18)

この2本の柱を固く結ぶ要として、アブラハムが死者の復活の信仰を持っていたとヘブライ人の著者は18、19節で明言しています。
アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です」(18、19)

創世記22章
ヘブライ11章17節以下で、アブラハムが試練を受けたとき、「イサクを献げ」たと著者が記述しているのが、創世記22章に基づくことは明らかです。
同様に、アブラハムが死者の復活の信仰を持っていたと断言するのも、創世記22章に基づくと見るのが自然です。では、創世記22章のテキストのどこに基づいて、アブラハムがそのような信仰を持っていたとヘブライ人の著者は断定しているのでしょうか。二つの根拠が考えられます。
一つは、22章5節のアブラハムの言葉です。アブラハムは、神が命じられた場所が見えたとき、2人の若者を後に残して、語ったのです。5節の前半には「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい」と記されています。
注目すべきは、5節の後半「わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる」の部分です。イサクは、ささげものとしてささげられるなら、当然死ぬわけです。生きて戻れないにもかかわらず、自分と同様、イサクが戻ってくるというのは、決してでまかせではなく、死が事実であると同様、戻ってくることも事実として受け入れている。つまり、死からよみがえらせられるとアブラハムは信じていると、ヘブライ人の著者は理解し、言明しているのです。

もう一つの箇所は、創世記22章6節以下です。アブラハムとイサクが、神が命令された場所へ歩み進みながら、会話を交わしています。イサクの「焼き尽くす献げ物にする子羊はどこにいるのですか」(7)との問いに対して、アブラハムは、「焼き尽くす献げ物の子羊はきっと神が備えてくださる」(8)と答えています。5節の場合と同様、アブラハムは、イサクを通して子孫が祝福されることと、イサクをささげる両方に従うのです。つまり、死者をよみがえらせてくださると信じていたと、ヘブライ人の著者は判断しています。

ヘブライ人の著者は、創世記22章の言葉に基づいて、あの時、あの場所でアブラハムは死者の復活を信じる証人であったと、過去の事実として指し示しているばかりではないのです。ヘブライ人の著者や受信人にとって、死者の復活を信じる自分たちのための、今ここでの証人として指し示しています。

主イエスの復活と弟子たちの死者復活の信仰から、約2千年の世紀の隔たりを越えて、今、ここで私たちが同じ信仰に立つ根拠は、聖書が証言する神の約束の下に自らを置き続けることです。そうです、事実を記録する言葉をどのように受け止めるかが、あの時、あの場でアブラハムにとって課題でした。同様に、アブラハムから2千年の隔たりを越えてヘブライ人の著者や受信人にとり、創世記22章とその解釈(ヘブライ人への手紙)が「道の光」「歩みを照らす灯」(詩編119:105)であったのです。

2016年イースターに私たちが直面している事情も、アブラハム自身やヘブライ人の著者と受信人たちと全く同じです。事実を証言する言葉・聖書の下に自らを置くかどうかが課題です。
私たちにとり、確かなことは、主イエスの復活を証言し、死者の復活を信じる弟子たちの姿を伝える聖書テキストです。なぜ聖書記者たちは、主イエスの復活信仰と死者の復活信仰を持ったのか。それは、パウロの場合のように、復活のイエスの顕現に出会ったからと明らかにされています(Ⅰコリント15:5、6)。

このような聖書の証言を全体として受け入れながら、アブラハムが直面したと同様な、相反するかに見える課題の両面を受け止める歩みをなし続けた先達の一人として、内村鑑三の例を覚えます。内村は、58歳の時点で「聖書全部神言論」(1918[大正7]年)を書き表しています。この徹底した聖書信仰に立って、1930年、70歳の生を終えるまであの時代の日本の歴史の中で、聖書にすがりつつ歩んだ姿に学ぶ必要を、この年のイースターにあらためて痛感しています。

[2]3月、クリスチャントゥデイ事務所での恵み
クリスチャントゥデイの事務所が東京は千代田区岩本町にある恵みを、個人的にも生かさねばと決意して、2月の沖縄訪問・宣教から帰ってきました。 
3月16日(水)には、既にクリスチャントゥデイにおいてコラムをお書きくださっている、改革派引退牧師の豊川修司先生をお迎えし、実に充実した、しかも対話の間にしばしば爆笑が繰り返される愉快な時を過ごしました。
http://www.christiantoday.co.jp/home/news/services/print.php?article_id=19108
http://www.christiantoday.co.jp/home/news/services/print.php?article_id=19470
隣の部屋で仕事に励んでいた若い記者が、「何かとても盛り上がっているようでしたね」と声をかけてくれたほどでした。
 
続いて3月19日(土)には、JTJ宣教神学校卒業生の荒木徳之兄とお会いしました。岸義紘先生の新約聖書注解書シリーズのためにフリーペーパー『Galatians・ガラテヤ人への手紙』を完成させたばかりで、届けてくださったのです。
 この貴重な実例に基づき、インターネットの活用と紙の印刷物・本の合わせ技をめぐり、これまた話が盛り上がりました。
 さらに話が一転、介護支援専門員であり社会福祉士である荒木徳之兄のクリスチャントゥデイへの寄稿が一挙に決定しました。まさに直接の対談ならではの恵み、感謝です。

引き続き、3月22日(火)には、英国の新約聖書学者、N・T・ライト氏(セント・アンドリュース大学神学部教授)の主著『新約聖書と神の民・上』の翻訳者・山口希生先生を事務所に迎えました。
山口先生は、4月9日の出版記念特別講演会で、「パウロの〈ストーリー神学〉のクライマックス―N・T・ライトによるローマ9‐11章の講解―」をなさいます。講演の原稿を前以て送って頂いたので、制約の中で味読・身読することが出来ました。面会当日は、かなり突っ込んだ話し合いが出来、とても有益でした。
新し年度、事務所での個人的対話を求めて行きます、お祈り頂ければうれしいです。

しかし何といっても基本は、世紀の隔たりを越えて先達に学ぶ、
「わたしは進歩しつつ書き 書きつつ進歩する人の一人であることを告白する」と、「・・・つつの恵み」の道をカタツムリの歩調で進む営みです、感謝。

[3]2016年4月−2017年3月、主日礼拝を中心に
(1)2016年4月−2017年3月の各月の主日礼拝。
以下の主日、今の時点で、主日礼拝における説教・宣教担当可能です。よろしければ連絡ください。
★5月 1日 未定
    22日 未定
★6月26日 未定
★9月 4日 未定
★10月 16日 未定
★11月 6日 未定
   27日 未定
★12月 4日 未定
★1月 1日 未定
★2月4日(土)−2月28日(火)沖縄25日 未定

(2)聖書神学教室・聖書塾、ちいろば聖書塾のほか、お茶の水の東京プレヤーセンターや宇都宮キリスト集会でも予定しています。

ちいろば聖書塾のご案内

ちいろば聖書集会では、講師宮村武夫先生でちいろば聖書塾を,今年度は、前期4回と後期4回行います。

( 主 題 )「見えないものと見えるもの」

第1項 創世記1章1節、出エジプト記20章1〜5節
目に見えない神と目に見える万物

第2項 レビ記の味わい
     礼拝における、目に見えるものと目に見えないもの

第3項 使徒の働き1章6〜11節とへブル人への手紙
キリストの昇天ととりなし(へブル7:25)

第4項 Ⅰヨハネの手紙4章20,21節
目に見える兄弟と目に見えない神

(前期日程)
1.4月10日  2.5月 8日  3.6月 12日  4.7月3日 

(場所・時間)青梅福祉センター集会室  午後2時から4時まで

  (参 加 費)1回 1,000円  

(連 絡 先)青梅市東青梅6−11−8
       鮫島 茂 0428(22)2183

[4]祈りと協力のお願い
(1)著作
①『哀歌講解説教 ―哀歌をともに― 』、2013年11月発行、700円
 『ルカの福音書 味読・身読の手引き』1、2、3、各700円、希望の方は、宮村にご連絡ください。

②『使徒の働き 味読・身読の手引き』4分冊は版下が出来ました。各分刷50万の必要の満たしを願っています。

③宮村武夫著作全8巻
 既刊6巻の購入希望の方は、宮村にご連絡ください。
また3巻『コリント人への手紙 第一』と4巻『テサロニケ人への手紙他』の刊行実現のため200万の満たしのため。

④依頼原稿、依頼出版の機会が与えられ、依頼への応答のため。

(3)宮村夫妻支援方法
宮村夫妻の宣教活動を祈り支援下さり感謝します。
経済的支援は、郵便振替 振替口座番号 00240‐0‐82660 
ゆうちょ銀行 普通預金 店番018 口座番号2092174をご利用下さい。

(4)クリスチャントゥデイについて
事務所 〒101-0032東京都千代田区岩本町2-13-6ミツボシ第3ビル4階
03−5829−4627、来訪歓迎。
クリスチャントゥデイの働きについては、http://www.christiantoday.co.jp/を参照。
また週刊メールマガジン【CTダイジェスト】(毎週月曜日発行、無料)の購読は→ http://bit.ly/chtodayjp-newsletter

(5)自己紹介
宮村武夫
1939年1月21日 東京深川生まれ、開成高校時代 キリスト信仰へ導かれる。
現在、宇都宮キリスト集会・ちいろば聖書集会牧師、クリスチャントゥデイ編集長、名護チャペル協力宣教師。