発信・受信ー主にあるに恵みの一つ一つ」その11

「発信・受信ー主にあるに恵みの一つ一つ」その11
山口希生と宮村武夫のやり取り

☆山口→宮村
「宮村先生
 ヴォスの記事をありがとうございました。浅学なものでヴォスをしっかり読んだことがなかったので、今回Biblical theologyを注文いたしました。

 私は既に帰国しています。私は15年間サラリーマン生活を送った後、その時点では牧師としての召命の確信が持てなかったので、神学校ではなく、ボウカム先生を慕ってセントアンドリュース大学に向かいました。
 当地で3年を経たころ、教会に仕えようという明確な思いが与えられたのですが、ちょうど博士課程に進む道も拓かれたので、日本の教団と相談し、まず英国で博士課程を終えて、それから日本で教師となるために必要な単位を取得しましょう、という話になりました。

 そのような事情で、これから1年ほど日本の神学校で単位受講生として学び、また教会で実習神学生として働いていきます。
 機会があれば、ぜひお会いしたいですね。また、実はある方からライト先生の著作についてブログに記事を書いてほしいと頼まれまして、原稿を書いてみました。今までのメールのやりとりと関係のあるテーマですので、もしお時間が許せばお読みくだされば幸いです。
 では、メリークリスマス!
先生のお働きと、教会の皆様の上に祝福がありますように。
山口 希生」

☆宮村→山口
「山口希生先生

頌主
 メール感謝します。
Biblical theologyを注文なさるなどとの応答を受けたこと、
今までありません。「今さら、ヴォスか」、または無視です。

すでにご帰国とのこと、年が明けた時点で機会を作って、
ぜひお会いしたいですね。水曜日と金曜日、
神田岩本町クリスチャントゥデイの事務所に行っております。

添付の文章・「N.T.ライトの世界観」も興味深く読ませて頂きました。
K.ステンダール先生とH.ケスター先生の下で学んでいた時以来、
私の基本的関心は、ユダヤ教キリスト教の類似性だけでなく、
区別性です。

今年最後の主日礼拝の上に祝福が豊かにありますように。
忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代

追記 今週、クリスチャントゥデイに以下の文章を書きました。
聖書をメガネに 我は聖霊、聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず(その7)
今回の考察の締めくくりとして、やはりローマ8:18〜25に言及せざるを得ません。
1963年9月に始めたニューイングランドでの3年間の学びを通して、ローマ8:18〜25は、私の心の奥深く刻まれ、その後の歩みの基盤となりました。
 8:25、「もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます」に基づき、1967年8月誕生の長男の名前を忍望(ニンボウ)と付けたほどです。

 ローマ8:17までに、御霊ご自身の導きにより、私たちが神の子どもの位置を与えられている事実の指摘を、パウロは8:26に直接結び付けています。ですから、ローマ8:18〜25は、本来の話の流れの中に割り込む、脱線とも呼ぶべき部分です。
 逆に言えば、パウロが、受信人の必要を重視して書く部分に、
パウロ自身の心の中で燃えるマグマが噴出してきています。それは、パウロにとり最重要なメッセージなのです。
 その内容は、被造物全体を視野に入れ、特にそのうめきを直視しています。しかも人間・私の実態であるからだの贖(あがな)いを求めるうめきと被造物全体のうめきが固く結ばれています(8:23)。このからだの贖いと被造物全体のうめきからの解き放ちこそ、キリストの再臨において成就する新天新地の希望です。

 この確かな終末の希望に立ち、現在のすべてを見、一切を耐え忍ぶのです。これこそ、聖なる公同の教会、聖徒の交わりのあり方であり、うめきの軽視、無視こそ敵です。
■ 我は聖霊、聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)
◇宮村武夫
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。
2014年4月からクリスチャントゥデイ編集長。