2015年で12月18日(金)③クリスチャントゥデイの記事、「聖公会出版が解散へ 聖公会新聞は休刊に」へのコメントとそれに対する応答

2015年で12月18日(金)③クリスチャントゥデイの記事、「聖公会出版が解散へ 聖公会新聞は休刊に」http://www.christiantoday.co.jp/articles/18166/20151216/sei-ko-kai-publishing-dissolved-newspaper-stopped.htmへのコメントとそれに対する応答

「本記事を小社の一同が心からの深い思いをもって読んでいます。その思いをこのように表現したいのです。尊敬している長兄が長い外国旅行へ出かけた後、歳の離れたまだ幼い末っ子が実感する寂しさと空虚さ、その中であの兄がやがて帰ってくる日、その日を目指して備えるぞと小さくとも精一杯の身の整えをなしている。そんな感じなのです。
 歴史を重ねたものだけが身に付く風格を備えていた聖公会新聞。その背後には、さらに日本聖公会の歴史そのものが控えている事実を認めて、敬意を払ってきた者の一人です。
 この聖公会新聞が、吹けば飛ぶような小社を、なんと契約の相手として認め、2015年1月号から11月号まで、本紙の記事や写真を複数回にわたり掲載してくださいました。この事実は、唯一の、生ける、まことの神が、人間を契約の相手として選び、神と人との契約関係が結ばれるとの聖書の根源的な宣言を指し示す、実に謙虚な行為でした。

 以上の聖公会新聞と小社の関係に、私個人の聖公会に対する二つの関係・思い入れが加わります。
 第一は、父親が江東区深川冬木町の聖公会で、故鈴木勉司祭から洗礼を受け、潔くキリストに従い、召天した事実が、私ども家族全体に今もなお及ぼす良き影響です。
また鈴木司祭が、当時勤労青年のために真正面から労され、江東区区議会で活躍、そして末期がんの病床から御国へ凱旋されていった歩み一切が、私ども家族全体に生きたメッセージを語り続けています。
 第二の思い入れは、「聖なる公同の教会」、横浜海岸教会の最初の名称、「日本基督公会」との関係です。現在普通に用いられる「教会」より、「公同の教会」あるいは「公会」のほうがずっとよいと私は深い思い入れがあります。
 「公」こそ、教会が本来的に与えられている基本的性格と理解します。その意味で、現在なお続く「聖公会」の名称に、特別に引き付けられるのです。
 以上の決して軽くない思いを込めて、敬愛する長兄が旅からお帰りになるのをお待ちしております。それまで小さな弟が身に即したインターネットをフル活用して記事とコラムの充実を日々に求め、聖霊ご自身の慰めを受けつつ寂しさに打ち勝ちたいのです。」

 以上のコメントに対して、北海道聖書学院の川粼 憲久兄から、以下のような応答がありました。

「 今年夏の伝道実習で、北海道の帯広市音更町を中心とした十勝地方に一週間伺いました。その現地リサーチで学んだことですが、この地域の特色として大きく二つのことがあげられます。

一つ目は、その十勝地方の開拓者が北海道の他の地域と違い、屯田兵ではなく、民間企業であったこと。
二つ目は、キリスト教開拓もまた、その民間企業の創設者によって行われたことでした。それも聖公会によってです。

この聖公会のクリスチャンが、十勝の土地と信仰を開拓し、その基盤があって、今もなお、この十勝宣教は聖公会を含めた超教派諸教会の協力のもとに行われているのです。特に、この地域は古くから聖公会が幼稚園を行っており、地域のお年寄りの中にはその卒園者が多くいらっしゃいます。

そのような正統的なキリスト教基盤が地域に浸透しているため、異端的なものか、正統的なキリスト教会かの見分けがされているとお聞きしました。

私は、伝道実習ということで帯広聖公会の李司祭とお会いし、その歴史と現在の教勢や今後の宣教の抱負について直接お聞きすることができました。
そのお話の中で、記憶に深く残ったことは、やはり聖公会カトリックプロテスタントの間にいて、両者を繋いでいるという自負があるということと、それ故に信仰告白として、使徒信条ではなく、ニカイア・コンスタンティノープル信条を告白し続けているということです。

私も聖公会、特に教会とも集会ともせず、公会という名称を掲げ続けている歴史とその姿勢に注目している者の一人ですが、宮村先生のお話から、益々、聖公会について考えさせられました。」

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