2015年10月22日(木)③聖書をメガネに 我は聖霊、聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず(その1

2015年10月22日(木)③聖書をメガネに 我は聖霊、聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず(その1)

 「聖書をメガネに」と言うとき、当然聖書をどのように読むかが課題になります。その答えとして、私なりに、聖書を「使徒信条」と対話しながら読み進める道を選んできました。この道を、一人の人間・キリスト者、そして牧師・神学教師として、60年前後歩んできました。今また、クリスチャントゥデイ編集長として同じ道を歩み続けたいと心定めています。

 そこで、使徒信条の「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり(中略)を信ず」の部分に焦点を合わせ、これから回を重ね思い巡らしていきたいのです。
 先に、「記憶と記録」の主題で、徹底的な聖霊(ご自身)信仰と徹底的な聖書信仰について考えてきました。そこでの考察に立ち、「我は聖霊を信ず」と、聖霊(ご自身)論の展開を深めたいのです。

 また以前に、「クリスチャントゥデイにおける読者の位置」を主題として論じてきました。その継続として、「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」の箇所を掘り下げたいのです。クリスチャントゥデイの読者について考えることは、教会とは何かの問いの直視であり、そこでの人と人の交わりをじっくり受け止める営みに通ずるものです。

 少し大げさに言えば、日本基督教団日本福音同盟の小社に対する取材拒否の声明が放置され、内部告発もなされていない状況の下で、小社における一つの応答として、実践的聖霊論の展開、また創造論と救済論の二本の柱を重視する教会論の試みです。お祈りいただけたらうれしいです。(続く)