2015年8月31日(月)③ネメシェギ先生とモーツァルト、カトリックの友人・K姉からのうれしいメール

2015年8月31日(月)③ネメシェギ先生とモーツァルトカトリックの友人・K姉からのうれしいメール

宮村様
 ネメシェギ師の『日本の若者のモーツァルト』は、1993年に南窓社という出版社から出ました。白地に濃紺と赤紫色と緑色の模様の表紙です。私のは師のサイン入りです。万が一どこからも手に入らなかったら私のをお貸しいたします。

 パラっとページを繰ってみると、上智大学の学長だったピタウ神父(確か後ではローマでイエズス会の総長もされた方です)が、ある時の上智大の入学式の式辞で「上智大学での情操教育が不十分である。」と述べられた時、突然モーツァルトの音楽で情操教育をやってみよう、とネメシェギ師が思い立たれたそうです。
 そして一般教育科目としてモーツァルトに関する授業を10数年間ハンガリーへ帰られる迄続けられたそうです。
 最初は神学の教授が音楽の授業とは突飛なことだとご自身が思われたそうですが、希望者はどんどん増え、ついには定員を400人に制限して抽選登録をしなければならなかったそうです。

 音楽大学で勉強したことがあり、ネメシェギ師の授業にも出、この本の原稿の整理から校正までをお世話したカルメル会の神父によると、授業はネメシェギ師の「沈黙をお願いしまーす。うしろの方でしゃべっている人はどっかへ行ってちょうだい。」というユーモアにあふれた叫び声で始まったそうです。

 そして、授業は形から入って沈黙を強いられてあとに緊張しか残らないというありがちなものとは逆に、リラックスした中に何度も何度も沈黙を呼びかけられる素晴らしいものだったそうです。日本の教育でリラックスすることを教えられたことがなかった、というのが学生として授業に出席したこの神父の実感とのことでした。

 ネメシェギ師は音楽家ではないとは言え、ご両親がどちらも音楽家で家にはいつも音楽が溢れていたそうです。モーツァルトはご両親の好みと違っていた作曲家だったので知る機会が遅くなり、40代になってから突然好きになられたそうです。そうなってみるとオーストリア・ハンガリー帝国の伝統の中という育ちが実はモーツァルトを自然に理解できる土壌だったのだそうです。

 しかも、有名なことですがモーツァルトのお誕生日の1月27日はネメシェギ師のお誕生日でもあるので、それがとても嬉しかったそうです。ご自身をモーツァルトの生まれ変わりかもしれないと半分位は本気で感じていらっしゃるようです。それも実は突飛なことではなく、師は我々「子供達」の集まりの時には必ずと言ってよい程即興で作曲したメロディーを教会のピアノで演奏して下さったものです。

 師に尋ねた私のおかしな質問というのは、その時は大真面目に考えていたのですが、「もうキリストが全てを私達のためにやって下さったのだから、私達は何もすることがないような気がします。何故人間は何かしなければならないのですか?」というものでした。師は顔色ひとつ変えずに「そうですね、難しいですね。私にも全てが分かる訳ではありません。」とすまして見事にかわされました。

★一言
とても貴重な、ネメシェギ先生についてのお話、感謝します。
ネメシェギ先生の言葉や姿が生き生きと描かれています。

匿名で、私のブログ、フェイスブックに掲載させてもらうことにしました。
私だけでとどめておくべきでない、貴重な文章ですから。
 今も、モーツアルトのCDを聞いています。私も生き生きとしている、深夜の恵みです。