2015年7月30日(木)③この場合も、一人一人、一つ一つ

2015年7月30日(木)③この場合も、一人一人、一つ一つ

沖縄在住中に、畏友松谷好明先生の紹介でキリスト新聞の松谷信司兄お会いして以来、親しみの気持ちをもって、松谷兄の活躍を喜んできました。
特に、昨年4月以来私がクリスチャントゥデイで働くようになって以来、同業の先輩として、一段と親しい思いを持っており、主にある交わりが深まっています。
 その松谷信司兄が、この度フェイスブック上で、以下の発言をなさいました。
「この世の法を無視し、嘘偽りを並べ立ててまで「教会の論理」を押し通そうとする牧師や信徒、教団の存在は、キリスト教の宣教にとってマイナスでしかないので、今すぐにでも止めていただきたい」。
さらに、発言は続きました。
「思想信条や聖書解釈、教義理解の違いは譲れても、キリスト教の名を騙り悪行を繰り返す輩は、同じ宗教のカテゴリに属する一人として許せない。彼らが今週ものうのうと説教しているかと思うと反吐が出る。特に身近な距離にいる方々はもっと声を上げて批判すべき。泣き寝入りする被害者をこれ以上増やすな。」

 この発言に対して、公言の背景について各論的な知識を欠く制約を自覚しながらも、総論的に深く共鳴し、以下のように、私は応答しました。
「2000年を迎えたおり、日本福音キリスト教会の21世紀の宣教モットーを論議する場で、「うそをつかない、あることをないかのごとく、ないことをあるかのごとくしない。ハイはハイ、イイエはイイエ」と、沖縄地区の代表として提案しましたが、またかの反応。
 
 しかしその延長で、教会組織からも、牧師館からも、牧師給からも離れる修羅場を通過しました。それでも祈れる、宣教は可能と教えられる恵みを経験。
 松谷兄、そのままの姿勢でクリスチャントゥデイにいます。
松谷兄の公言を、やむにやまれぬ思いからの発言と、重く受け止めました。」
 
 このやり取りと同時進行するように、あめんどうの小渕春夫さんから私の文章に対するコメント、私の応答、さらに再度のやり取りがありました。
 このやり取りが、松谷兄の公言に、私があえて応答したる理由の一つでもあります。