「ペテロ・ネメシェギ神父の手紙」その4

「ペテロ・ネメシェギ神父の手紙」その4

[4]いのちの結び、手紙を貫き
2010年4月、大浜第一病院退院後、喜びカタツムリと自覚し自称しています。
生かされている場、いつでもどこでも、そこが「存在の喜び」の現場なのだ。それゆえ埼玉の松本さんやハンガリ−のネメシェギ神父の現場ともいのちの絆で堅く結ばれている、竹の子が根で互いに結びついているように。そのようにさえ考えているのです。
そうです。竹の子の根の結ぶつきの事実とその意味について、1950年代ネメシェギ先生が来日当初の出来事からの洞察・竹の子神学に新たに学ぶのです。
ネメシェギ神父は、このようにことばを紡いでおられます。
「わたし(ネメシェギ神父)がロ−マから日本へきたのちの最初の春のことであった。家の前の庭を毎日散歩したとき、非常に驚かされたことがあった。春の土から、何か円錐形の植物が頭をもたげていた。そして驚くべき早さでたちまち生長し、二週間ほどの間に人間の背たけの二倍もあるような美しい高い木に変わってしまった。いうまでもなく、わたしがその春初めてみたのは竹の生まれであった。わたしは竹の美しさ、しなやかさ、しかもたくみにできた姿を見て真に感激したのである。このどこにでもあるたけのこを科学者が分析すれば、水素とか、炭素とか、また、別の元素もあるであろう。そのさまざまな元素が幾つ存在するのかわたしにはわからないが、科学的に分析することは可能であろう。しかし、顕微鏡でも見ることのできないもう一つの要素が竹の内には存在するのである。それはいのちである。このいのちはどこから来たのだろうか。それはいうまでもなく、去年から中心に生えていた古い竹からきたものである。去年から生きていた親竹から、人間の目に見えないように地下を通り、根が四方へ伸び、そのいのちを伝えたのである。土を自分へと同化するいのちを与えながら、去年から立っていた竹が自分に似たたくさんの子どもをつくったのである。
 いうまでもなく、たけのこを生む一本の親竹は、われわれの主イエズズ・キリストの象徴としてわたしの目に映ったのである。かれからこそ目に見えない方法でわれわれに新しい生命、われわれをキリスト化する生命が伝わってくるのである。」(『神の恵みの神学』、477,478頁)。

 1960年代後半の寄居において確かに。
そして2010年の今、埼玉、ハンガリー、沖縄と時空の隔たりを越えていのちの結びのリヤリティ−。静かな喜び満たされるのです。虚無のいざないの中にあっても。
しかも私たちの地上での死の事実によって、地上で味わったいのちの交わりは、切断すること、消滅することなく、完成へ向かう。この希望のゆえ、どのような忍耐も。
「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」(ロー人への手紙15章13節)。