風間正富牧師の思い出
風間正富牧師の思い出
1958年4月、東京キリスト教短大の前身日本クリスチャン・カレッジに、私は入学しました。そこは、大学でないばかりか、短大の認可もなかったのです。日本の学制上では、単に各種学校に位置づけられる存在でした。
ところが、学長ドナルド・E.ホーク先生の広い心と並外れた人脈の目に見える現われとして、実に多彩な方々がチャペル・礼拝の講師として来訪しておりました。
私がまだクリスチャン・カレッジの下級生であったとき、ある日のチャペルに、その後忘れることの出来ない人物が、説教者として登壇したのです。
その名は、風間正富。
そうです。トモコ・K・オベールさんの父上です。
確かに日本クリスチャン・カレッジの講壇には、多士済々な方々が登場していました。
しかし風間牧師は、文字どおり登場の仕方が、際立っていたものです。
講壇に立つや否や、驚くほどの声量で、祝詞をあげ出したのです。
礼拝出席一同が、呆気にとられ、度肝を抜かれる中で、尋常ならざる証が繰り広げられたのです。
13歳のときに、父親死去。新潟で神職に就く親族の養子となったのです。
そのときから、幼いながら神主の仕事を続けたそうです。
ところが19歳のとき、聖公会の教会が配布したトラクトを手にしたことを契機に、キリスト信仰へ。それがどれ程厳しい道であったかは、今日の時点からでも想像に難くありません(『評伝 風間正富』を書きたいほどです)。
ついには牧師への道へ。そうした激動の歩みの裏づけあっての、チャペルを震わす大声量の祝詞だったのです。
私がただ一度お会いした、あの時から程なく、風間牧師は50歳の若さで、主のもとに召されたのです。
風間牧師の次女・風間(坂本)道子姉は、1969年4月、1年生教師として初めて担当した授業で出会い、生涯の友となりました。現在は、彼女の自宅で主日礼拝を持つ、宇都宮キリスト集会の中心的役割を果たしています。私たち家族は、この小さい集会に属し、私は、その牧師です。
私の心の奥深く聖霊ご自身による刷り込みがあったと思われる、正富先生との礼拝堂での出会いの波紋です、感謝。