聖書翻訳を活用する側の責任と喜び

聖書翻訳を活用する側の責任と喜び
 聖書翻訳をする側ではなく、それを活用する側として生き発言して来ました。

 新改訳3版をあたかも絶対視するかの傾向に出会う場合異議を表明、無視されて来ました。
 私としては、説教者各自が、自分の頭と心で、手元にある日本語聖書翻訳を比較し味わう営みを重ねて得る恵みを覚えます。

 例えば、御霊の実としての喜び、使命による苦悩と両立の確認。
「あなたのしもべのたましいを喜ばせてください」
            (詩篇86:4 新改訳)
「あなたの僕の魂に喜をお与えください」
         (詩篇86:4 新共同訳)
「あなたの僕の心を喜ばせてください」
            (詩篇86:4 フランシスコ会訳)