クリスチャントゥデイの働きの原点―クリスチャン新聞での経験―その4

 クリスチャントゥデイの働きの原点―クリスチャン新聞での経験―その4
 
  2015年2月、沖縄での日々を過ごしながら、クリスチャントゥデイの事務所と連絡をとっています。
 改めて、現在のクリスチャントゥデイの働きの原点を、クリスチャン新聞で受けた経験に見出しています。
 1986年4月から、コラム「季節の窓」に書き続けて機会、良い訓練でした。以下もその一つ。

1987年(昭和62年)7月19日(日曜日)

季節の窓―献堂式に思う境界の身体性
宮村武夫(新約教団・首里福音教会牧師)

○病床にある姉妹へ

Y姉。いつもお祈りありがとうございます。新しい会堂の牧師室で、この便りを書いています。献堂式から引っ越しと続きましたが、今9割以上が終わりました。

沖縄は、梅雨明け。朝6時過ぎだというのに、汗ばんで来そうです。ご存知のように、夏の暑さの方が私は体の調子が良いのです。しかし、40年以上ベッドに寝たきりのY姉が、夏の期間をいかに過ごされるかを思います。額を流れる汗が目に入って来るのを不自由な手でふくことが出来ず耐える辛さ、あのお話を忘れることが出来ません。そうした中でのY姉の執り成しの祈りは特別な恵みです。
  そうです。西多摩での祈り、この沖縄で豊かに実現しています。献堂式には、豪雨の中にもかかわらず多くの方々がお集まり下さり、主なる神の御前に感謝な時を持ちました。
 特に、金沢からI兄が駆け付けて下さったこと、驚きでした。案内状を出しておきながら、驚くのはおかしいのですが。1960年代の初め、I兄と私は、秩父地方の隣同士の町で開拓伝道に当たっていました。大変な生活の中で健康を害し、郷里に帰られたI兄。地域教会を通して主なる神に仕え、北陸地方にあって歴史の古いキリスト教主義の学園のため背後で奉仕をなしておられるとのこと。
 沖縄の自然と歴史を象徴する2、3の場所を二人で訪れながら、思いは秩父の地にある諸教会へと向かいました。帰郷するI夫妻とともに旅立った幼かった長女が、この秋には結婚すると聞きうれしくなりました。

Y姉。この度の会堂・牧師館・学生センターの建設に当たって、キリストの教会にとって、会堂が本来いかなる意味を持つのかと私なりに考える機会を与えられました。教会学校の礼拝の時間に、「牧師は何をする人」との教師の質問に、何を思ったのか、「お家を建てる人」と4歳半になる末っ子の新が答えたのです。とてもショックでした。内面的な教会形成ではなく、目に見える外面的な建物に気を奪われている自分の姿を見せ付けられる思いでした。新の意図を聞くことは出来ないのですが。開拓伝道以来30年近い年月、祈り続けられてきた会堂。学生伝道のためささやかなりとも一つの場所をとの教会の祈り。
  しかし、こうした志を持ちつつも、いつしか本末を転倒する動きがなかっただろうか。そうしたことを考え始めると次々と会堂建設について否定的な思いが心に襲ってくるのでした。

こうした中で、一つの大きな支えとなったのは、無教会の立場に立たれるT先生の言葉でした。農業高校の演習林購入計画を巡って、地上での財産を持つことについての率直な疑問に答えて、
「それは、キリストの教会の身体性の課題である」との意味の答えを即座になされたのでした。
 首里福音教会が、1985年10月、会堂・学生センターについてのアッピールの手紙を出した際、最も早く応答をして下さったお一人は、多忙なT先生でした。その後も繰り返し励ましを頂きました。様々な現実の中で、キリストの教会の身体性の課題として、会堂建設を位置付けて行くべきことを、深く教えられました。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい」(1コリント6:19〜20)。

Y姉。7月、8月と夏の日々、「自分のからだ」をもって、神の栄光を現す姉妹の歩みの上に豊かな祝福がありますように、それは、決して奇麗事ではないのですね。40数年痛み続けるからだをもって、神の栄光を現し続けるのですから。私どもも、一歩誤れば本末を転倒してしまう危険性を自覚しつつ、この会堂を通しても、主なる神の栄光を現すことが出来ますように続けてお祈りください。感謝しつつ。