同じく70代、ブラジルでの働きの報告

hi-b.a.(ハイビーエー、高校生聖書伝道協会)で同時代、今もそれぞれの場所で、キリストの僕として。

リオ・プレト伝道現状報告(サンパウロから北西450キロ、人口50万、牧畜ともっと奥地の中継商業地。トルコ人が開発、イタリヤ人も多く、日系人は800-1000軒か)。イタリア人が多いせいがファッシオンの町でもある。アラブ料理、イタリア料理、ブラジル焼肉料理、そして、日本料理店も沢山あり。多分、どこの町とも同じですが、ブラジル焼き肉店と同じくらい日本食店もあり、しかも、高いのです。健康にいいと言う評判なのです。

1.自立出来るのか
  全く不明です。まだ2年ちょっとで、当然のことでしょうが。
  マナウス時代よりは、人員、人材、教会用地、開拓当事者の体力、すべてにわたって劣っているのですが、しかし今までの経験が、遥かに勝っているので、試行錯誤でも不安は少ない感じです。
  ゴイアニア時代と比べると、横への広がり方が少し豊かか。日系人がもう少しゴ市より、街が小さいだけまとまりがありそう。ただ、日系人会とはつかず離れず、圧力も受けず自由に伝道でき日系人会の役員の何人かとは親し、日本語はほとんど通じない。 
 
2.リオ・プレトの伝道の現状
 訪問と日本語
訪問。
今までの40軒程の知り合いの内、教会の集会が始まっても、一点に集まれる方は、ゼロ。
  電話帳のリストから日系人と思われる名前を拾い出し、グーグル地図で全市内の日系家庭を見付けだし、市内地図にマークし、日本語生徒のシルバ兄(73歳)と訪問開始。彼の地元の市北部から訪問開始。今は東部に移ってあと一回で南部に移る予定。100軒の訪問を終わりました。再訪問可能の方が3分の1はいる感じ。
  日系家庭の4,5分の一が日本語、受け取る80%以上が75歳以上。ただ、今までの5市訪問と比べると、会話が簡単に成り立ち、特に日本帰りの人たちは親しさを増します。市街地から15−20キロ離れているせいもあるからか。
  シルバ兄(第一回日本語生徒、72歳、土地勘十分、アッセンブリ派の信徒)、「これをしたかった」と励まししてくれる。

  日本語。これが現在では一番の自立への近道か(日本では楽しい英語がそれに変れる可能性大)
  第一クラスが4人(日系人)、第二クラスが6人(同5人)。来月末には、1,2が合同して入門2のクラスに編成される。10歳から15,6歳が80%、青少年会が生まれる可能性十分にある。日本帰りの武藤3父兄弟の一番下の弟は日本での受洗者。青少年会に参加し、そのガールフレンドも日本語クラスに入る予定、その他、3名の日系関係の生徒が、次の入門(1)に入る予定。
 親御さんとの信頼関係は強くなり、キャンプ後、Hi−ba的集会を始めても、OKになって来ているか…
  73歳の私も71才の家内も、精神的には少し若返っています。Hi−baをやっている感じ。
  来年も再来年も続ける予定。体力的にはそれが限界か。15-20人の生徒が与えられたい。
 土曜11時―12時と火曜夕方5時半―6時半も。。
  幸い、ベッコ・デ・カフェと言うカフェのお店が使え、トイレ、テーブル、いす、ケーキ・コーヒ―、私たちが準備する必要なし。費用はケーキ・コーヒー代を払うと、ほとんど残りなし、でも、伝道効果、親しさ、殊に、そㇾらの生徒のご家族とに信頼関係は抜群。この一軒一軒と知り合うことが開拓のだいご味。
 新聞宣伝がほとんど必要なくなった。たまには知名度のため出しますが…
 
3.今後の展開
  月一回の青少年会
  スタッフ
 日本から帰ってくる渡辺ルイス兄(まだ会ったことも結婚しいるかもわからない)と交渉する予定です。からはこのリオ・プレトから北へ150キロほど行った町フルタウウ市の出身。
 第五のある月の日曜日は中田がサンパウロのアライアンスのルージラモス(ブラジルでの派遣教会)の奉仕、その時、 この開拓について話し合い、祈り合っています。
集会場所(初めは月一回)
  サンタカーザ病院の直ぐ近く、自由メソジスト教会を借用予定。
  かつてはサンパウロの小野助一先生ご一家がここに住み伝道しておられ、唯一、石田老兄(90才)が残っておられる。
  ただ、この一年で伝道の様相がかなり変化し、親しく貸してくださっていた、ベッコ・ド・カフェは老夫妻が定年で引退するので、CNAと言うブラジル中で有名な英語学校を有料で使わしてもら、素晴らしい環境で生徒も父兄も胸を張って教室に来、非常に助かっています。

4.健康状態
  夫婦とも年取って、週2回日本語をしたくても、無理しない、が合言葉と言うより、参ってしまう年ころ。
以上です。
お祈りを心から感謝いたしまして。
中田智之
リオ・プレトにて