宇都宮キリスト集会と私 その2

宇都宮キリスト集会と私 その2


さらにひとつのことをお伝えしたいのです。
ときは、1923年(大正12年)9月1日、あの関東大震災
私の家族は、東京深川で被災しました。
そのため、祖母イネの郷里である、栃木県佐野市に一時移住したのです。
その佐野で、小学生であった父泰二は、聖公会教会学校に出席していたのです。
長男である私が高校卒業と同時に主に直接仕える道を選んでも、親戚一同がいぶかり,あきれるなかで、一切反対しなかったのです。
 そればかりか、私の日本クリスチャン・カレッジまた留学のため経済的援助を惜しみなくしてくれました。
 やがて父は、深川の、それも奇しくも聖公会の教会で受洗、その会員として召されました。その死の様に接し、末弟三郎は、キリスト信仰に、そして牧師の道へ導かれました。
ですから栃木県宇都宮の宇都宮キリスト集会牧師に導かれたのは、私にとり軽くない意味があるのです。

私が生まれる丁度10年前、内村鑑三は、『聖書之研究』の1929年10月号に、「楕円形の話」という重要な文を掲載しております。
 「真理は円形に非ず楕円形である。一個の中心の周囲に画かるべき者に非ずして二個の中心の周囲に画かるべき者である」と書き出されています。

 私にとって二個の中心とは、沖縄であり、宇都宮でした。
 沖縄と宇都宮を中心に描かれる楕円形、その場を中心に。
そして今、宇都宮と東京を中心に描かれる楕円形、その場を中心に、君代と二人でキリスト信仰二人旅、ゆっくりカタツムリの歩みです。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くとも悪くてもしっかりやりなさい」
(Ⅱテモテ4章2節)

「愛をもって真理を語り」
(エペソ4章12節、恩師パパニコルから受け継ぐ聖句)

  いつでも、誰に対しても福音の宣教ができる恵みを覚えて、一歩一歩なのです。