「私の万代恒雄」 その9 「あの方の生き方、死に方」

 「あの方の生き方、死に方」

1957年、万代恒雄先生の松山開拓伝道の最初期の時期お手伝いをしていた時のことです。瀬戸内海の島々に伝道するため、万代先生をはじめ数名で古い漁船を高知県から松山へ曳航することになりました。機関士を頼りに苦労しながら。
その途中小さな港に寄港し、銭湯に行ったところ、お風呂が終る遅い時間から聖書集会があると、一枚のポスターが提示されていました。
 
集会に出席して、驚きました。
集会でお話し下さったのは、東京下町では三助と呼ばれていた、お風呂を沸かしたり様々仕事をする方で、以前由緒のある神社の神主さんで、聖書を自分で読み天地の創造者を信ずる信仰に導かれ、神社を離れて銭湯の仕事をしながら集会を続けているとのこと。
 そして主日には、小舟に乗って、八幡浜のアライアンスの教会に出席するとのお話しでした。その後の連絡などする配慮のなかった10代の私でしたが、ただ一度の出会い、あの晩のことを鮮明に記憶しています。
 聖書の人を変える力、キリストに従い名誉ある神主の地位を離れ、人々の垢を落とす仕事に従事なさる方の生き方を思い起こし、またあの方の知ることの出来なった死に方を想像するのです。