カレッジとユニバーシテイー ー日本クリスチャンカレッジを生きる−
カレッジとユニバーシテイ
ー日本クリスチャンカレッジを生きる−
日本クリスチャンカレッジの学生や東京キリストを教短期大学・TCCの教師として、終始一貫して意識し、提唱してきたことは、クリスチャンカレッジとある人々が主張するような牧師養成校としての神学校・セミナリーとの区別です。
牧師になるために聖書学ぶのでなく、人間として生きるために聖書を学ぶ、この一事です。
また内村鑑三がアマスト・カッレジを選択の意義を考えます。
親友の宮部金吾がハバートユニバーシティー、新渡戸稲造がジョン・ポプキンズユニバーシティートに進む中で、あえてアマストカレッジに進み、そこで内村が経験した事柄の検討は、実に大切と理解します。
日本クリスチャンカレッジが範としたホイトンカレッジも、ユニバーシティーの道を歩んでいないと見ます。
こうした点から、東京キリスト学園が、東京クリスチャンカレッジの名を捨てて、東京クリスチャンユニバーシティーを名乗るようになった真意を理解しかねるのです。
少なくとも個人的には、日本クリスチャンカレッジを生き抜きたいと、共に日本クリスチャンカレッジで学んだ親友の30年前の召天の重みを覚えながら、改めて心定めたのです。