使徒の働き味読・身読の手引き・その99

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

『教会の誕生、教会の使命』
使徒の働き11章19−26節

[1]序 
 使徒の働き先週で読み終えることができました。
1章8節を鍵として使徒の働き全体を見とうして行こう、これが私たちの出発点でした。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あながたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」。主イエスが弟子たちにお与えになった、この約束は確かに成就しました。どのように成就したかは、使徒の働き全体を通して明らかに描かれています。 
主イエスの弟子たちは、主イエスの証人として、エルサレムから地の果て・ローマまで福音を伝えたのです。主イエスの証人として各地域で福音を宣べ伝えて行くと、それぞれの地域には必ず福音に応答する人々が起こされ教会が誕生し、誕生した教会は、様々な困難に直面しながらも戦い進んで行きます。各地域教会それぞれ特徴を与えられ、委ねられた使命を果たしつつ進んで行く姿をルカは描いて行きます。この教会の誕生、教会の使命の主題を、アンテオケ教会の実例を取り上げ、もう一度確認したいのです。

[2]アンテオケ教会の誕生 
 使徒の働きに登場する幾つものの地域教会の中でも、アンテオケ教会は特徴豊かな教会として目立ちます。何よりもその誕生の次第に特徴があります。
11章19節にあるように、「ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々」によって誕生した教会です。今日の表現で言えば、祖国から亡命した弱い立場にある人々・難民を通して、アンテオケ教会は誕生したのです。
 ステパノのことから起こった迫害のため、エルサレムを後に各地に散らされた人々はフェニキヤ、キプロスにまで至ったのです。彼らは行く先々で福音を宣べ伝えました。しかし11章19節にあるように、「ユダヤ人以外の者にはだれにもみことばを語らなかった」のです。「ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた」(11章20節)のです。
アンテオケ教会の誕生には、福音がユダヤ人ばかりでなくギリシャ人にも宣べ伝えられる注目すべき事実が伴いました。福音が民族や国籍の壁を貫き通す中からアンテオケ教会は誕生したのです。そのために、キプロス・島出身の人々が用いられています。
 
アンテオケ教会の誕生は、」特定の使徒による福音宣教を通して現実になったのではありません。亡命を余儀なくされた人々の忠実な宣教活動によってアンテオケ教会は誕生したのです。福音宣教は、単にペテロやパウロなど特定の使徒のみを通してなされたのではなく、キリスト者各自がそれぞれの生活の場で証を進めて行き、その中から教会は誕生した事実をアンテオケ教会の実例は鮮明に教えてくれます。
 アンテオケ教会の実例は誰が福音宣教を担うかについてばかりでなく、誰に福音を宣べ伝えて行くべきかについても大切な事柄を指し示しています。
アンテオケで、キプロス人とクレネ人たちがユダヤ人ばかりでなく、「ギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた」ように、様々な壁を越えて、宣教が広げられる必要があり、可能性がます。
 また11章22節に見るように、アンテオケ教会は、誕生のはじめから、エルサレム教会と深い交わりを持っていました。アンテオケ教会は地域に根差すと同時に、地域を越えて諸教会と交わりを持つ地域教会の在り方を指し示しています。

[3]アンテオケ教会の使命 
 以上見てきたように誕生したアンテオケ教会は与えられた使命を自覚し、使命を果たすため励みます。
 アンテオケ教会が使命を果たしていく姿をルカが描いている中で、11章25節と26節は、特に興味深い箇所です。
バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、彼にあって、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」とあります。
アンテオケ教会の使命の一つは、福音を聞いて主なる神に立ち返った人々を教えることです。信仰を告白した人々は、さらに聖書を正しく・深く・豊かに教えられる必要があります。アンテオケ教会に委ねられた使命は、サウロ(パウロ)を通して、また彼を中心に協力者たちを通して果たされて行きました。
 さらにアンテオケ教会の特徴を考えるとき、13章1節以下も注意を引きます。
アンテオケ教会では、一人の指導者による牧会ではなく、複数の人々による協同牧会が進められていたのです。それぞれが賜物と使命を与えられている指導者たちが、ともに主を礼拝し祈り協力一致して教会に仕えていたのです。
さらにアンテオケ教会は宣教師を派遣する宣教の精神に燃えた教会でした。パウロは、アンテオケ教会にとって教師であるばかりでなく、アンテオケ教会から派遣された宣教師でもあったのです。アンテオケ教会の内部の充実と外部への働きは、車の両輪のようにして進められていた様を見ます。

[4]結び
 アンテオケ教会の誕生の次第を通し教えられ事実またアンテオケ教会の特徴を通して、各時代の各地域に誕生しそれぞれの使命を与えられる地域教会の歩み、そうです、今沖縄で生かされる首里福音教会の歩みについて指針を与えられます。