『神のことばを余すことなく』 コロサイ1章24−2章7節

2013年10月6日
所沢恵み教会
主日礼拝

『神のことばを余すことなく』
 コロサイ1章24−2章7節

父・御子・御霊、生ける三位一体なるお方を崇めます。
[1]序
(1)
①今朝も、コロサイ人への手紙を読み進めます。今や秋、今朝は1章から2章への移行です。

②今朝の箇所・コロサイ1章24−2章7節全体を視野に入れながら、二つの中心に焦点を絞り、溢れる恵みのメッセ−ジをしっかり受け止めたいのです。
 一つは、パウロが宣べ伝えている内容、「神のことばと奥義キリスト」。
第二は、この箇所で「あなたがた」と繰り返しパウロが強調しているコロサイ教会の現実。
そうです。この描写をメガネにして、所沢恵み教会の現実を直視したいのです。

[2]神のことばと神の奥義キリスト
 パウロが、コロサイ教会の前に展開している、神のことばと奥義キリストの関係・結びを、ヨハネヨハネ福音書で美しくしかもくっきりと描いています。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。・・・恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである」
(1)「神のことばを余すところなくつたえるため」(1章25節)
 一面一部でなく、両面全体。参照 使徒の働き20章27節「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」

(2)「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト」(1章27節)
 ことば・教えを伝えることは絶対必要。すれだけでは十分でないのです。
生けるキリストご自身をパウロは宣べ伝えています。

[3]「あなたがた−コロサイ教会、そして所沢恵み教会−」、
(1)「あなたがたのために」、1章24,25節
 コロサイ教会そして所沢恵み教会の誕生と成長のために、神から委ねられた務めに従ってみことばを伝え、受ける苦しみを喜びとした人々の存在。
 それらの人々は、私たちがキリストにある成人として立つために、「自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘して」(1章29節)くださっています。

(2)「あなたがたの中におられるキリスト」、1章27節
 コロサイ教会、そして所沢恵み教会の只中にいますキリスト!この驚くべき恵みの事実は聖書を通して、聖霊ご自身の導きにより私たちの心に確認されるのです。
①マタイ18章20節
「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 
ヨハネ15章5節
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの黙示録1章13節
「それらの燭台の真ん中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方(大祭司また王なるキリスト)が見えた。」

(3)「あなたがたは」→この驚くべき恵みに応答して、神の奥義キリストを真に知る生活・生涯、2章2節、6,7節。コロサイ教会も所沢恵み教会も。
 キリストを真に知る(2章2節)とは、単なる知識や教えの課題ではなく、聖霊ご自身の導きによる私たちの心、存在、日々の生活と全生涯の現場における、キリストご自身との絆に基づく生き方・死に方そのものである事実を、パウロはこの箇所でことばを重ねて確言しています。
 そうです。この2章2節、6,7節こそ、私たち所沢恵み教会に、そのまま与えれられている印・教会本来の印です。キリスト者各自の生活・生涯の印です。
「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、
彼・キリストにあって歩みなさい。
キリストの中に根ざし、また建てられ、
また、教えられたとおり信仰を堅くし、
あふれるばかり感謝しなさい。」(2章6,7節)。

[4]集中と展開(1)集中
ヨハネ1章14節、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
 
(2)展開
コロサイ2章6,7節→1ペテロ4章13節、「むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。」