使徒の働き味読・身読の手引き・その89

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告


『乗り込んで出帆(しゅっぱん)』
使徒の働き27章1ー8節


[1]序 
今朝は、使徒の働きの新しい章27章に進み1ー8節を味わいます。
使徒の働きの味わいも27章と28章を残すのみとなりました。

[2]船でローマへ
(1)使徒の働きの27、28章。
ここにはカイザルに上訴した、囚人パウロがカイザリヤからローマへ護送されて行く様子が描かれ、パウロがついにローマに到達した事実を明らかにしています。
しかもこの事実の描写は、一つの視点からなされています。あの使徒の働き1章8節を思い起こす必要があります。使徒の働き全体は、ある意味でこの約束の成就を指し示している事実を見てきました。

(2)つまり。
 1−7章では、エルサレムにおける福音宣教。
 8章と9章では、ユダヤとサマリヤ全土に展開する福音宣教。
 10−28章までは、地の果て(使徒の働きでは直接にはローマ)にまで及ぶ福音宣教。
 そして27章と28章では、福音がローマにまで至る事実を、パウロのローマへの船旅を通して描いています。福音は異邦人への宣教者パウロを通してローマに至り、ローマからさらに広く伝えられて行きます(ロ−マ15章23、24節参照)。

(3)ロ−マへ船で。
ではどのようにして、パウロはローマに行くのでしょうか。
27章1節に、「さて私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき」とあるように、ロ−マへ船で、なのです。27章2節から28章14節の「ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らの所に七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した」までは、それなりに詳しい船旅の記録です。
この船旅は、困難の中で戦いを通して主なる神の一方的恵みにより目的が達成されて行く、福音の広がりの原則を指し示しています。
ローマへの航海は、ガリラヤ湖における主イエスと弟子たちの場合(マルコ4章35−41節、6章45−52節参照)同様、「向かい風」(4節)の中で、しかも「幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニトの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、その岸に沿って進みながらようやく、良い港と呼ばれる所に着いた」(7節と8節)とあるように、初めから困難に直面し、風と波に苦しむものでした。 
乗組員が長時間に渡りあらゆる試みをなし悪戦苦闘し、ついには座礁してしまいます(41節)。しかしそうした中で、「あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです」(24節)と、神の御使いがパウロに約束するように、彼らは救い出されたのです。困難の中で、福音は人々を通して(Ⅰコリント1章21節参照)広がり行くことを示しています。

[3]アリスタルコも 
ローマへ船でと囚人パウロの姿の焦点を合わせている記事の中で、2節後半の表現、「テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した」が注意を引きます。
 アリスタルコには、使徒の働き19章29節に登場します。「町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕え、一団となって劇場へなだれ込んだ」とあるように、エペソでキリストを宣べ伝えるパウロと共に大女神アルテミスを礼拝する熱狂的な人々により逮捕された事実があります。
また20章4節では、アリスタルコは異邦人諸教会の代表としてパウロエルサレムへ同行した一行の一員であるルカは伝えています。
さらに21章27節以下のエルサレムでの出来事の後、パウロがカイザリヤで2年間に渡り監禁されていた期間(24章27節)も、アリスタルコはパウロのそばちかくにあって終始苦しみを共にし,協力し,助け続けて来たと推察できます。
 
このアリスタルコが、今、ローマへ船で向かうパウロと同行したのです。ローマにあっても、獄中のパウロの世話をしようとの目的をもって。
そのために支払われる犠牲はどれ程のものだったでしょうか。遠く郷里を離れ、人々のあなどりを覚悟し、肉体的な痛みをも身に受けながら、パウロに同行しアリスタルコらしく、神の国と神の義を第一に求め続け,福音宣教に参与して行ったのです.
 アリスタルコの後年の姿については、パウロがローマの獄中から書き送ったと考えられる、コロサイ人への手紙に言及があります。「私といっしょに囚人となっているアリスタルコがあなたがたによろしくと言っています」(4章10節)。ローマでパウロといっしょに囚人となるために、アリスタルコはパウロに同行したのです。

[4]結び 
福音宣教のため、アリスタルコのような人物の用いられる意味。