「苦しみを喜ぶ」 Ⅰペテロ4章11−19節

2013年9月22日
聖望キリスト教会 主日礼拝

Ⅰペテロ4章11−19節 
「苦しみを喜ぶ」

御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。
[1]序
(1)2013年8月25日の主日礼拝から1箇月、夏から秋への移行を実感しながら皆様と共に主を礼拝し、みことばを味読・身読する今日のこの恵みの機会にも感謝します。

(2)この1箇月も、皆様それぞれと同様、主の恵みの中を日々歩まれました。
私たちも、まさに「祈りとみことばの奉仕に励む」(使徒6:4)期間でした。

(3)今朝の聖書箇所で、4章12節以下と4章11節後半に見る深い祈り・実は頌栄との結びつきを、まず確認したいのです。

[2]「キリストの苦しみにあずかる」 
4章12節以下、手紙の受取人たちが苦しみの中にいかに生きるかについての最終段階での勧めをペテロは語り続けます。
(1)4章11節後半の頌栄との結び。
「・・・それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。」
①「すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられる」
②「栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。」
 これは、「・・・してください」との祈りではなく、頌栄。
旧約聖書を通じて,神はほむべきかな、神はあがむべきかな。
創世記14章20節、「あなたの手に、あなたの敵を渡された
         いと高き神に、誉れあれ。」

新約聖書においても、栄光、神に、永遠に。
ロ−マ11章36節、「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」
 
黙示録5章13節、(神と小羊キリストに)
「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」
黙示録7章10節、(神と小羊キリストに)
「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」
(2)「燃え盛る火の試練」を「キリストの苦しみにあずかる」喜びとして
①間じかに迫る「燃え盛る火の試練」を何か思いがけない事態と驚き怪しんではならない。

②この事態を「キリストの苦しみにあずかる」、つまりキリストの名のゆえに非難され、ののしられる、この一点に絞り受信人たちが受け止めるようペテロは期待しています。

(3)「キリストの苦しみ」、主イエスに対するののしり(マタイ27:39−44)。

[3])苦しみの中での喜び、積極的に善を行う
(1)「喜び」と「楽しみ」の類似と区別
 詳しくは、午後の集いで。「喜び」は,泉のように内側から滲み出し湧き出す。
聖霊ご自身の働き、助けによる実の一つ。

(2)「善を行なう」
 受信人たちが直面する苦しみにについて、その深刻さが増し加わる様をペテロは段階を経て示し、どの段階においても、積極的に「善を行なう」よう一貫して勧めています。
①3章13節、「もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。」

②3章14節、「いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。」

③4章12節、「燃えさかる火の試練」
頂点である4章19節でも、力を込めて勧告しています。「ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。」

[4]集中と展開(1)集中。ペテロがしていないこと。
 なぜこの世に苦しみが存在するのか、なぜ燃え盛る火の試練がキリストを信じ従う者に襲いかかってくるのかペテロは一切説明を試みていない。

(2)展開。ペテロがしていること。
 苦しみに直面している現実から出発し、その現実の中でキリスト者はいかに生きるべきかをペテロは語りつげています。
 主イエスにおいて現実とされた恵みにしっかりと立ち、いかなる状況のもとでも積極的に善を行い続ける。万物の創造者、万物を完成へと導かれる神のご真実に支えられて。