使徒の働き味読・身読の手引き・その51

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

「主は彼女の心を開いて」
使徒16章11ー15節
     
[1]序

 今朝は、ピリピ教会の誕生と成長にかかわる記事を味わいます。
パウロに与えられた幻を、「私たち」への幻として受け止め(16章10節)、パウロの一行は新しい世界へ踏み出しました。幻が実現して行くまでの困難の連続とその中での導きをルカは描きます。11節と12節では、パウロの一行の船旅を描き、目的地ピリピがローマの植民都市であることを紹介しています。

[2]機会を求めて
 パウロたちは、「幾日か滞在した」とルカは記しています(12節)。この期間も、いつものようにユダヤ人の会堂を尋ね、福音を伝えようとしていたに違いありません。
ところがピリピの市内にはユダヤ人の会堂を見いだせなかったのです。幻に答えピリピまで進んで来たパウロの一行は、福音を宣べ伝える機会も福音を宣べ伝える対象となる人々を簡単に見いだせなかったのです。幻を受け入れその実現を目指す道には,このように困難が伴うことがしばしばです。
 しかしパウロたちはピリピの町で壁に直面しても、そのまま諦めないのです。町の門を出て,積極的に福音宣教の機会を求めて行きます。

13節では困難や壁に直面しても、なお前進して行くパウロたちの姿を、「安息日に,私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した」とルカは描いています. 市内で集まることの出来なかった人々は、ピリピ郊外にある川岸の祈り場に集まっていたのです。

「女たちに話された」と特に強調している事実は、注意を引きます。何等かの理由で男性は集まっていなかったのです。市内の大会堂で、男も女を多くの人々というのではないのです。人目を避けるように川岸の祈り場に集う。それほど数多くない女性ばかりの一群の人々。これが、あの「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」との訴えの幻に答え、勇躍ピリピまで進んできたパウロたちが最初に与えられた人々です。
しかし彼らは、この機会を軽んじないのです。「女たちに話した」と、主イエスにおいて現実となった神の救いの御業・喜ばしい救いのニュースを宣べ伝えたのです。幻に答えて生きるとは、困難に直面しながら与えられた機会を、それがどれほど小さく見えても、見逃さず忠実に使命を果たしていくことであると教えられます。

[3]最初の回心者ルデヤ
(1)主は彼女の心を開いて。
パウロが宣べ伝える福音を聞いた女たちの一人ルデヤについて、「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた」(14節)と記し、重要な事実を明らかにしています。パウロが福音を宣べ伝え、ルデヤが福音宣教に耳を傾けているとき、主なる神はルデヤの心に働きかけてくださっていたのです。
福音の宣教は、語る者のことばが聞く者の耳に伝えられて行くだけでは十分ではないのです。主なる神の働きかけ、つまり聖霊ご自身の助けによって聞く者の心が開かれるのでなければ、主イエスを信じ告白し、生かされ実を結ぶことは出来ないのです(Ⅰコリント12章3節)。
同時に、ルデヤはパウロの福音宣教を聞く必要があったのです。パウロの口を通し、人間のことばによって宣べ伝えられる福音を聞き、ルデヤに聖霊ご自身の導きは与えられたのです(ヨハネ15章26、27節「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです」)。

(2)ルデヤの家で。
ルデヤは自分一人が福音を聞き、主なる神が彼女の心を開いてくださり信仰に導かれただけはありません。家族も彼女とともにバプテスマを受けたのです。主なる神の恵みはルデヤ個人にそして家族へと波紋のように広がり与えられて行きます。
また15節後半には、パウロの一行がルデヤの家に滞在することを通して、ルデヤの家がピリピで最初の宣教の基地となる様が示されています(16章40節)。

[4]結び
 幻を通して与えられた使命が実現して行く道。それは困難に直面しながらも、機会を求め続け、与えられた小さな機会を軽んずることなく生かしていく道です。
その道が開かれて行く中で、個人の大切さと個人から家族へ、家庭を中心とした地域への広がりの恵みの両面が浮かび上がります。