使徒の働き味読・身読の手引き・その49

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告


「テモテを連れて」
使徒16章1ー5節

[1]序
今朝はパウロの一行による第二次宣教旅行の最初に位置している出来事(16章1ー5節)に注意します。直前の15章36ー41節で見たように、第二次宣教旅行の出発は、大きな痛みをともないました。パウロの一行に、主なる神はテモテを加えてくださいます。
 16章6節以下には、マケドニヤ人の叫びの幻とそれに答えて、「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したである」(10節)とあるように、パウロの一行が行動を起こす様を描いています。ここに見る「私たち」の中に、テモテも使徒の働きの著者であるルカも加わり宣教に従事したと考えられます。
今や、福音宣教は、アジアからヨーロッパ世界へと進展して行きます。この大切な節に直面するにあたり、16章1−5節では、パウロがテモテを連れて行く場面を描いています。人が備えられ主の御業が進展して行き、主の御業が進展するために人が召し集められます。

[2]テモテ
パウロがルステラでテモテに会ったとき、テモテは18歳ぐらいであったと推察されます。パウロの第一次宣教旅行のとき、母ユニケ(Ⅱテモテ1章5節)と共に回心し、それから忠実なキリストの僕としての歩みを続けていたと考えられます。
(1)家庭。
1節、「ギリシャ人を父としていた」とあることから、父親はすでに死亡し、母子家庭であったと推定できます。母ユニケの労苦により育てられてきたテモテが召され、家を離れ故郷を後に、福音宣教に従事するのです。育てて送り出す母ユニケ、母なる教会の姿を見ます。

(2)地域教会。
2節、「ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった」と、テモテと地域教会の関係を記しています。テモテは、主なる神に対し忠実な歩みを、自分が生かされている地域教会においてなしてきたのです。
そのテモテを、主なる神は広い世界で用いなさいます。ルステラの教会は、母ユニケと同様、大切な人物を新しい展開(福音がアジヤからヨーロッパへ)のため献げたのです。

[3]パウロとテモテ
(1)同労者を必要とする。
パウロは何でもかんでも自分ひとりで出来る、自分ひとりでしなければ気がすまないとは考えないのです。他の人々と協力し、主なる神から与えられた使命を協同で果たします。

(2)若い世代を認める。
パウロは福音宣教の務めの大切さを自覚し、同労者が誰でも良いなどとは考えなかった事実は、15章36−41節からも明らかです。そのパウロが、18歳前後と考えられるテモテを連れて行くのです。若い世代に対するパウロの深い理解と期待を見ます。

(3)テモテを連れて。
パウロは、テモテを戦友として実践の場に連れて行きます。この実践方法は、福音宣教のための生き方をパウロからテモテへ伝えらる最も良い方策なのです。

(4)長い年月の中で。
パウロはテモテを一時の必要のためのみに連れて行くのではなく、テモテの全生涯にかかわり、共に歩みを重ねて行きます。
この時から10数年経過した時に書かれたと考えられる、テモテへの手紙で、パウロはテモテに、「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい」(4章10節)と語っています。18歳ほどであったテモテも、10数年の厳しい伝道者としての歩みを重ね、それなりに成熟した時期に、「年が若い」と、若さを意識させています。
パウロは、18歳のテモテを若過ぎるとは見ないし、経験を重ねてきた30代のテモテを完成した人物とも見ていません。
このパウロが自分自身については、どのように理解しているかを、ピリピ3章12−14節に見ます。
 「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」

[4]結び
パウロがテモテを連れて行く姿、パウロからテモテへの継承を覚えて、教会学校のための祈りの集中。