使徒の働き味読・身読の手引き・その28

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。


「食事を共に」
                使徒の働き10章34節ー43節

[1]序 
 今朝は、使徒の働き10章34節以下に意を注ぎます。
ペテロがコルネリオや彼の家族や部下に宣べ伝えたメッセージを、コルネリオは、「いま私たちは、主があなたにお命じになったことを伺おうとして、みな神の御前に出ております」(33節)と一同の整えられた姿勢を示しています。このような人々に向かい、ペテロは34節以下に見る宣教を開始します。
宣教の中心は、「すべての人の主,イエス・キリスト」(36節)です。
まず34節から36節において、ユダヤ人だけでなく、「すべての人の主」であることを述べ、その後三つの点を中心に主イエスご自身について宣べ伝えていきます。
①主イエスの御業と十字架の死(37−39節)。

②主イエスの復活(40、41節)。

③主イエスの復活の結果(42、43節)。

[2]主イエスと食事を共に
 37ー39節に描かれている内容を確認した後、特に40節と41節に焦点を合わせます。
(1)復活の主イエスの顕現。
 40節には、「しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現われさせてくださいました」と、主イエスの復活の事実を述べます。
続いて41節には、「すべての人々にではなく,神によって前もって選ばれた証人である私たちにです」と復活の主イエスの現われについて説明しています。ユダヤ人の大部分は、主イエスの顕現を目撃した使徒たちの宣教と証言(42節)を通して、主イエスを信じるように定められています。「私もひとりの人間です」(26節)と自覚する使徒のことばを通し、神の恵みの事実を聞き信じ仰ぎ望むのは、異邦人コルネリオだけでないのです。ユダヤ人の大部分もまた同じなのです。福音の中心である主イエスの復活は、初めから証人のことばを通し信じられ、広められたのです。
この点について、ヨハネ福音書20章19節から29節に描かれているトマスの実例が明らかにしてくれています。復活の主イエスはトマスに、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」(ヨハネ20章29節)と宣言なさいます。
見ずにどうして信じることができるのでしょうか。証人たちの証言・ことばを聞いて信じるのです。信仰は、「聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみこばによるのです」(ロマ10章17節)と教えられている通りです。

(2)使徒たちには、どのように。
 異邦人やユダヤ人の大部分には、復活の主イエスは直接現われず、彼らは使徒たちの証言・宣教のことばを通し信じる道を備えられました。
では使徒たちには、復活の主イエスはどのように現われたのでしょうか。「私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました」(41節)とペテロは証言しています。これは、ルカの福音書24章36節から43節、特に41節から43節に詳しく記していることを指しているのは明らかです。
ルカ24章41−43節、「それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。」
 
使徒たちの状態。復活の主イエスの現われに直面ししたとき、「驚き恐れ」、「取り乱し」、「心に疑いを起こ」している使徒たちの姿を見ます。見れば信じられるという話ではないのです。
 主イエスの大きな優しさ、寛大さ。「うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっている」使徒たちに、42節,43節に見るように、主イエスは復活のからだの現実性と共に、深い愛を示されます。ペテロが言う、「ごいっしょに食事をしました」とは、この事実です.

[3]主イエスの復活の結果
 10章42節、「イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。」復活の主イエスの権威.
 
10章43節、「イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」、死と罪から解き放ちくださるお方。

[4]結び
復活の主イエス。恐れ疑う使徒たちを訪れ、彼らと食事を共になさったお方が私たちにも呼びかけていてくださいます(黙示3章20節、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」)。