使徒の働き味読・身読の手引き・その17

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

「ステパノの目」
                 使徒の働き7章54節ー60節

[1]序
 三週間にわたり、ステパノの宣教に注意してきました。
今朝は、54節から60節を通し、ステパノの生涯と最後に注意したいのです。ステパノの宣教はいかに生きたか、彼の生き方と切り離すことができません。そしてステパノの生涯を知るためには、ステパノの目がどこに向いていたかを見ることが助けになります。 

[2]聖霊に満たされたステパノの目
(1)54節、「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。」に見る人々の激しい反対と攻撃を受けながら、「聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見」つめるのです。この「見つめる」ということばは、使徒の働きの著者ルカが好んだ用いたことばの一つです。例えば、「イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた」(1章10節)。「ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、『私たちを見なさい』と言った」.

(2)ステパノは日々の生活の中で主イエスに心を向け続け、今最も大切なときに、「天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見る」のです。56節、「こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」には、自分が経験したことを語るステパノの姿を見ます。

[3]ステパノの祈り
 59節と60節。「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた」。見つめ語るステパノは、主イエスに祈ります。
人々に語るステパノは、人々のために祈ります。そのステパノの祈りは、二つの面を含みます。
(1)第一は、主イエスよ。私の霊をお受けください」。ステパノの日々は、この祈りのための備えでした。

(2)第二の祈りは、執り成しの祈りです。ステパノは、他の人々のために祈る歩みを最後までなしました。

[4]結び
 私たちの目がどこに向くか。それにより私たちの生活・生涯が決定されることを教えられます。
自分の霊を委ねるお方を見つめ祈り続けるステパノは、私たちが何を見て、どのように生かされるべきか指し示してくれます。
 ステパノは死に直面し、すべてが終わりのように見えますが、ステパノの死を乗り越えて、やがてサウロが起こされて行きます。
 ステパノの目。では私たちの目は。