ルカの福音書味読・身読の手引き・その94
☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。
「神殿の幕が真二つに」
ルカ23章44ー49節
[1]序
今朝は、1月の最後の主日礼拝です。新しい月2月の歩みを展望しながら、ルカの福音書23章44節から49節、主イエスの十字架上での死とその意味を描く印象深い場面に注意を払います。
[2]「神殿の幕は真二つ」(45節)
ルカは、主イエスの十字架の死に伴う、二つの出来事を記しています。
(1)「全地が暗くなって、三時まで続いた。太陽は光を失っていた。」(44、45節)。暗闇がその地域を三時間に渡り被う。その理由として、「太陽は光を失っていた」と説明。
(2)「神殿の幕が真二つ」
神殿の幕については、神殿への入り口の幕(出エジプト記26:37、38:18)か神殿内部の至聖所との境の幕(出エジプト記26:31以下)を指す。
この出来事は、紀元70年のローマ軍による神殿破壊を予表。さらにヘブル9:1ー15節参照。
[3]主イエスの十字架での死の意味
(1)「父よ。わが霊を御手に委ねます」(46ー49節)。
信頼の祈り。
参照詩篇31篇5節、
「私の霊を御手にゆだねます。
真実の神、【主】よ。
あなたは私を贖い出してくださいました。」
敬虔なユダヤ人の夜寝る前の祈りとして。
最後まで、父なる神への深い信頼をもっての祈り。
参照ヨハネ19章30節、
「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。」
十字架の罪人への約束、同時にエルサレムへの警告と執り成し。
マタイ27章46節、
「そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。」
マルコ15章34節、
「そして、三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは訳すと『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」
罪人の身代わりとしての死が明らかにされている。
(2)人々の応答.
①百人隊長,神をほめたたえ(2:20)、
「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『この方はまことに神の子であった』と言った。」(マルコ15:39)
②群衆,感情を態度で現す。
③主イエスの知人たち(ヨハネ19:26参照)と,ガリラヤから主イエスについて来ていた女たち(埋葬、復活の場面で大切な役割)。
[4]結び
主イエス・キリストの十字架の死の意味。
Ⅱコリント5章21節、
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」
私たちも神をほめたえつつ、それぞれの場で新しい月の歩みを。