ルカの福音書身読の手引き・その51

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報

「神の指によって悪霊どもを追い出しているなら
ルカの福音書11:14−26
[1]序
 三つの集会を祝福の中終え感謝。
今、私たちは1992年の締めくくり・1993年を展望する12月の歩みを踏み出しました.12月の日々1992年の恵みをしっかり心に留めて主なる神の御名を賛美し感謝を献げ、1993年の祈りの課題を明らかに悟り新しい年に備えたいのです。
1992年の後半から、毎月の賛美・感謝、そして次の月の祈りの課題を明記するように意識して試みてきました。そうした月ごとの歩みの上に、1年の賛美・感謝、新しい年の祈りの課題を記して行くことが出来たら幸いです。落ち着いた備えの月となることを願いつつ、12月4回の主日礼拝で以下のようにルカの福音書を味わい続けます。
 12月6日 ルカ11:14―26 『神の指によって悪霊を追い出しているなら』
 12月13日 ルカ11:27、28 『幸いなのは』
 12月20日 ルカ11:29−32 『ソロモンよりもまさった者』
 12月27日 ルカ11:33−36 『あなたのうちの光が』
 
今朝は11章14節から26節の箇所。まず大きな流れを確認します。
9章51節から19章10節では、主イエスの一行がガリラヤからエルサレムへ進む途上の姿を描いていることを何回か確認してきました。今朝の箇所は,この大きな流れに属し、11章14節から54節では,パリサイ人たち(律法主義)との対決を中心にしています。
14節から26節では、主イエスが悪霊を追い出すことをめぐり、主イエスの権威を明らかにしています。
27,28節では,みことばに聞き従うことの幸いについて。
29節から36節では、天からのしるしを求める人々に対して。
37節から54節では、パリサイ主義に対して詳しい批。
このような大きな流れを見失う事なく、今朝の箇所を味わいましょう.

[2]事実と反応・解釈
(1)事実、「イエスは悪霊、それもおしの悪霊を追い出しておられた」(14節前半)。
 主イエスは解放者。病める者の癒し主。ガラテヤ5章1、13節参照。
12月2日(水)聖研・祈祷会でのイザヤ53章の学びから、首里福音教会の宣教のあり方について、この面でも強く教えられたこと。

(2)三つの反応、解釈
 ①「群衆は驚いた」(14節)。一時的なものである可能性→24−26節。

 ②「しかし、彼らのうちには、『悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ。』と言う者をいた。」(15節)、非難。主イエスの権威を認めず冒涜。

 ③「また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた」(16節)、要求→29節以下参照。

[3]「神の国はあなたがたに来ているのです」(20節後半)
(1)主イエスに対する非難に論駁、「神の指」(出エジプト記8:19参照)によって悪霊ども追い出している事実を確証。

(2)中心点、「神の国はあなたがたに来ているのです」(20節)
①21、22節→主イエスの勝利、勝利者主イエス
主イエスにあって、キリスト者・教会も圧倒的な勝利、ロマ8章37節を前後の文脈の中で。

②23節、中立は有り得ない。

③24−26節、逆戻りしないように。
最後まで死に至るまで忠実、黙示録2章10節.

[4]結び
(1)勝利者主イエス
いやし主、主イエス。あらゆる病める人々へ勝利者主イエスの喜びのニュース、解き放ちの福音を。主イエスは、キリスト者・教会に、「敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授け」(10章19節)て下さっている事実に立ち福音宣教を。

(2)中心、「神の国」。事実と共に、その意味の理解、解釈が大切。どのように考えるか、考え方・思想の戦い。
土台は、唯一の、生ける、真の神が万物をご統治なさっている神の国の事実に立ちすべてのことを理解して行く。このお方の統治のもとに、罪の贖い、救いの業が押し進めて行かれるとの、この世(世界)の理解(世界観)。
そして私たち各自についての理解(人間観)。神、人間、世界について聖書が明らかにしていることに基づきすべてのことを判断。

(3)「あなたがに来ているのです」
主のいのり、「みこころが天で行われるように地でも」。
宗教改革者の一人が理解しているように、「地」とは、私たちの心であり、生活であり、生涯。私たちの心、生活、生涯において主なる神が第一に。