ルカの福音書身読の手引き・その50

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報

「天の父が、求める人たちに」
ルカの福音書11:5−13
[1]序 
本日午後、生け花四人展とお茶の会が開かれます。今までにはない方法で神の恵みについての証の機会で、四人の姉妹方と婦人会全体をによる広い意味での宣教の働きです。
 そして12月1日から協力伝道が始まり、首里福音教会では12月3日(木)午後7時半より櫛田先生をお招きしての特別集会を開くため、私たちは最後の準備を進めて行くのです。
櫛田先生から讃岐うどんが送られて来ています。時間の許す方は、礼拝後味わってください。
また12月5日(土)の第2回首里福音学生センター講演会も貴重な機会です。照屋先生のため祈り、私たちも備えて行きます。
 
 こうした特別と言わざるを得ない週の歩みを、今朝もルカの福音書11章5節から10節を味わい踏み出します。
先週に続き主イエスの祈りについての教えです。
先週の箇所が「主のいのり」を通し何を祈るか祈りの内容を中心にしているのに対して、今週の箇所はいかに祈るか、またどなたに祈るかをはっきり自覚し確信に満たされて祈ることについてであり、「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」と実に大切な主イエスの勧めを結びとしています。

[2]「あくまで頼み続けるなら」(5〜10節)
(1)これはルカの福音書固有のたとえです。
このたとえでは、真夜中に友人を起こさねばならない事態、戸は堅く閉じられている、友人は寝入っている子供を起こす事なく起き上がり戸を開けることができないなど、願い求めをなす人が直面する困難やさまたげを強調しています。

(2)だれでもというのではなく、こういう事態でも助けてくれる友人を尋ねたのです。ひるまずに頼み続けるなら、「必要なもの」(8節)を手に入れることができると教えています。
信頼と確信に満ちた願いであると同時に、3節の「日ごとの糧」と同様、「必要なもの」(8節)とあるように、慎しみにも満ちた願いです。

(3)命令と約束(9節)
 人間の間でさえ、「必要なもの」のためのひるまない願いは満たされるのです。
しかしここで主イエスが弟子たち、キリスト者・教会に教えているのは、いつくしみ深い父なる神への願いです。父なる神のご真実がはっきり示されるところでは、同時にこれ程のお方に求め続けて行く人間の責任も問われます。

[3]「天の父が求める人たちに」(11−13節)
(1)「あなたがたも」、「なおのこと」(11〜13節前半)、小から大を推論。父なる神の恵みが、父なる神に祈るものの確信を生み出すのです。
 
(2)「天の父が、求める人たちにどうして聖霊を下さらないことがありましょう」(13節)。
祈りは,父なる神が私たちに約束なさっている最高の賜物である聖霊ご自身について向けられて行くのです.
 聖霊ご自身が私たちに注がれるのは、何のためでしょうか。ロ−マ人への手紙8章26、27節を特に注意したいのです。
祈る者が聖霊を受け、聖霊ご自身の導きに導かれるとき、祈る者は神の御心を教えられ神の御心を祈る者とされて行くのです。
キリスト者・教会の地上での歩み、それは聖霊ご自身の導きを受けつつ父なる神の御旨を祈り,神のことばを聞いて行う(サマリヤ人に見るように良き行いをなす)恵みを無にしない歩みです。与えられた自由意志をもって神の御心を行う決心をし、自らの意志を神の御心に一致させる生涯を進む、主イエスの家族の一員とされている歩みです。

[4]結び 
私たちは、「主の祈り」を通して何を祈るかを教えられてきました。実に内容豊かな、また私たちに無くてはならない私たちの必要を含むきめ細かい祈りを祈るべく招かれています.
 しかも私たちがどのように祈るべきかさえ主イエスは教えておられます。そうです、祈り続けることです。
どなたに対して祈っているのかをよく弁えて信頼に満たされ確信に堅く立ち祈るのです。ルカの福音書11章13節と共鳴する、ローマ8章32節をお読みします。
 「私たちすべてのために、ご自分の御子さえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」。
必要なもの一切について確信をもって祈ることが許されています。
しかもそれだけではないのです。聖霊ご自身を与えられ、聖霊ご自身の導きを受けつつ神の御心を祈ることが許されているのです。祈らざるを得ないではありませんか。首里福音教会がすべての人の祈りの家となるように祈祷会を大切にせざるを得ないのです。Ⅱコリント6章3節以下にみるパウロが証している生活・生涯を送ることを許されている者として。