世界歴史に生きる聖書

 聖書は空論ではない(テトス1:10)。空想話ではない(テトス1:14)。どこまでも事実に根ざし、世界歴史と不可分に結ばれています。世界歴史に生きる聖書、これこそ聖書の特徴です。

(1)聖書が書かれた時点において
 ヘブル人への手紙1章1節には、「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られました」と明記されています。聖書は天から降ってきたのでも、すべてが一度に書かれたのでもなく、「多くの部分に分け」、「いろいろな方法」で記録されてきたのです。世界歴史の現実を通し、長い長い年月の経過の中で、聖書は生い立ち、成立してきたのです。

(2)聖書翻訳の歴史
 世界歴史と固く結ばれ与えられた神のことば、聖書。この聖書を伝えようとすれば、受け取る人々が理解出来る言語で聖書を伝えねばなりません。ここに聖書翻訳の必要が生じます。また母国語以外の言語を通し聖書を受け入れた人々も、自分の最も親しい言語で聖書を味わいたいと望むのは、極自然でしょう。
こうして聖書は、その翻訳を通し、世界歴史に決定的な影響を与えて行くわけです。たとえば、紀元前二世紀頃、ヘブル語旧約聖書ギリシャ語に翻訳した七十人訳。三世紀末から四世紀初め、ヒエロニムスによるラテン語訳。1611年の英欽定訳など。
この大きな聖書翻訳の歴史の中で、ウイクリフの働きは、木目のこまかい段階への進展として、掛替えのない役割を与えられていると痛感します。

(3)聖書が語る世界歴史
 聖書と世界歴史の結び付きを考える時、第三に注目したいのは、聖書が語る世界歴史です。「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1:1)との天地創造から、「新しい天と新しい地」(黙示録21:1)に至る、言葉の正しい意味での世界歴史。ある時代の、ある限られた地域だけでなく、まさに全時代的なもの、全歴史的なもの、それこそ聖書が語る世界歴史です。その全体性の中で、「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた」(黙示録7:9)と、多様な諸国語を話す人々への宣教、その過程における諸国語への聖書翻訳の重要性を、もう一度新しく教えられます。この諸国語への聖書翻訳を使命とするウイクリフの働きに、日本の諸教会から宣教師が送り出され、それぞれの分を果たしている、その宣教師方との係わりの中で、間接的ではあっても、それなりの仕方で参与を呼び掛けられている、幸いな呼びかけです。実に。