ルカの福音書身読の手引き・その13

☆沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告。

ナザレのイエス
ルカの福音書4章14節〜30節

[1]序 
今朝は二月最後の主日礼拝です。
このところ不順な天候が続き健康を害している方々が私たちの間でも幾人もいます。そうした方々の健康回復を願いながら、今朝もルカの福音書を読み進めて行きます。
 4章14,15節には、主イエスガリラヤ地方における活動を要約しています。
第一に、それは「御霊の力を帯び」たものであること、また「その評判が回り一帯にくまなく広まった」と伝えています。この箇所は、主イエスのパプテスマや荒野の誘惑の記事とのかかわりで、いよいよ実際の宣教活動について語っていることから今までの箇所のまとめです。
同時に、これから次々と展開される宣教活動を見てあらかじめ要約(直接には、次の要約である4章44節までの間に記録して事々を要約)している、いわばこれまでの箇所とこれからの部分の橋渡しの役割を果たしています。

[2]ナザレの会堂で
(1)16節以下では、特に主イエスの故郷ナザレでの一場面に焦点を絞っています。
 「会堂」(16節)。神殿が破壊された後、ユダヤ人の生活の中心となっている様子は、使徒の働きの中(13章15節以下など)でも描かれています。
安息日には、聖書の朗読と講解、公の祈りがなされ礼拝が持たれました。聖書朗読では、律法から選ばれた箇所が輪読された後、続いて歴史書や預言書が読みあげられたと言われます。

(2)イザヤ61章1、2節。主イエスははっきり自覚してこの節を選ばれ、ご自身の宣教活動を旧約聖書の預言の成就として示しておられます。
①「わたしの上に主の御霊がおられる」(18節)。主イエスの宣教活動のすべては、聖霊ご自身の導きによる事実を明示しています。

②主イエスの宣教活動の目的、また対象とする人々。福音は、人々を罪と死との束縛から解放する喜びのおとずれであり、「貧しい人々」、つまり「捕らわれた人、盲人、しいたげられた人々」に向けて伝えられます。福音に接した人々は、高慢や無知により拒絶してはならないのです。

[3]「きょう、聖書のことばが」(21節)(1)「きょう」(21節)、待ち望まれていた時が到来したと主イエスは宣言なさいます。ご自身がメシアであると宣言し、神の祝福に満ちた統治が主イエスの存在と全く一つであり切り離せないと明らかになさいます。

(2)ナザレの人々の応答は、一面では「その口から出て来る恵みのことばに驚」くものであると同時に、他方「この人は、ヨセフの子とではないか」と言うものです。

(3)25−27節。エリヤ(Ⅰ列王記17章1節以下)の記事から、サレプにいたやもめの女、エリシャの記事(Ⅱ列王記5章1節以下)から、シリヤ人ナアマンの実例を取り上げて、神の救いの恵みが異邦人に開かれている事実を主イエスは指摘しています。
 ナザレの人々は、主イエスがご自身のわざを預言者のわざと同列に置くとして激しい怒りを現します。

[4]結び
(1)主イエスの自己意識と宣言。
 主イエスはご自身についてはっりとした意識を持ち、その中心点を率直にナザレの人々に宣言しておられます。

(2)福音は誰に向けて。

(3)神の恵みの中における、「きょう」。